大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おそがい(=おそろしい) |
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私:今夜の飛騨方言千一夜は「おそがい」。「おそろしい・こわい・恐怖を感ずる」という意味で、語源は形ク「おずし強」だと思うけど、異論はないよね。尾張方言でもある。岐阜市でも使うだろう。つまりはギア方言だ。 君:ええ、意味がピタリとあっているし、他に思いつかないわね。 私:「おずし」は記・下(=古事記下巻)で日本最古の形容詞だが、やがて音韻変化する。日葡には形ク「おぞし」Vozoi がある。 君:あら、それって既に飛騨方言になってしまっているじゃないの。「おぞい」。 私:その通り。「おぞい」は実は中世から近世の畿内方言だ。全国共通方言といってもいいだろう。「おずまし」「おぞまし」の音韻変化も生じて、現代語に通じている。でも、どうして飛騨方言では「おそがい」の音韻、つまりはどうして「が」の音韻があるのだろう。昨晩はこれを考え続けて、なかなか寝られなかった。ぶっ 君:ただ単に「おぞい」にひとつの音韻「が」が湧き出るようにくっついた、とは考えたくないのよね。 私:そういう考えを方言の自然発生論という。僕にはどうしても承服できない考えだ。 君:ほほほ、つまりは「おぞい」から何らかのプロセスを経て、再び同じ意味の「おそがい」が生まれた、つまりは再形容詞化が生じたのかな、と考えたいのでしょ。あなたはどうしても古典文法に拘っていて、方言形成も必ず文法に従った語変化の積み重ねと考えたいのよね。 私:その通り。この世の中に何となくできた方言など存在するものか。必ず理屈があるはずだ。まずは全国の方言の音韻が参考になろうかと思う。小学館・日本方言大辞典には「おぞい」の項目に30通りの意味の違いの記載がある。また音韻の変化もさまざまだが、「か(が)」が付く言い方は、おぞかい、おぞがましい、おぞごい、おそんがい、おぞっこい、おぞこい、おんぞくたい、等々があるが。 君:なるほどね。飛騨方言の古語も「おぞかまし・おぞこし・おぞくたし」辺りに変化しつつも、最終的に現代の「おそがい」になったのかしらね。 私:当然そのような考えは成り立つが、ピタッとは来ないね。 君:まだ他にも可能性があるという意味かしら。 私:うん。「おぞし」+「こはし強」で「おそがい」なんてのはどうだろう。 君:こじつけだわよ。 私:そういわれても仕方ない。さて「おずし」から「おずまし」「おぞまし」の音韻変化が生じたのが平安。源氏に文例がある。実はこれが大変なヒントになって、これぞ答えという考えに達した。この形シク変化は品詞の転成を与えるきっかけという点で、大変に重要な事だと思う。 君:ふーむ、品詞の転成ね。でも、そもそもが「おずし」から「おずまし」の変化は形ク(状態形容詞)から形シク(感情形容詞)への変化だから、品詞の転成は生じていないわね。 私:ふふふ、諦めずに考えてみて。ヒントは接尾語による動詞化だ。 君:ははあ、なるほど。形シクの語幹に接尾語「がる(と思う)」を足せば、自ラ四「おぞましがる(怖いと思う)」、つまりは形容詞から動詞への品詞の転成が生ずるわね。 私:そう。自ラ四「おぞましがる」は年余を経て中間の2モーラが脱落してしまったのだろう。その結果として自ラ四「おそがる(怖いと思う)」という動詞が出来たのだ。そしてこの動詞語幹「おそが」に「い」がついて形ク「おそがい」という形容詞の誕生、つまりは「おぞい」の再形容詞化が起きたのでは、と考えてみたのだけれど。 君:でも、なんだか自信なさそうな言い方ね。つまりは手元の各種方言資料に自ラ四「おそがる(怖いと思う)」という動詞の記載が無いのでしょ。つまりは単なる推論。 私:ふふふ。 君:えっ、どういう事。 私:みつけた。自ラ四「おそがる(怖いと思う)」は現役の飛騨方言だ。文例はプリーツ出版・「ひだのしゃべりことば」。68頁に犬小屋に紐でつながれている犬を母と娘が遠くから眺めているイラスト。説明文は「そんにおそがららでも、ひぼついとるで、ぼくってこんさ(そんなに怖がらなくても紐が付いてるから追いかけてこないよ)」。 ![]() 君:なるほどね。 私:「おそがる」は内省して飛騨方言のセンスにあっているので、この文例を発見した瞬間、方言の神様にハイタッチできた気分だった。方言万歳!!「おそがららでも」は飛騨方言だが、「おそがらんでも」でもいいと思う。つまりは「おぞし(上古)」から「おぞましがる(平安)」「おそましがる」そして一発変換で「おそがる(現代)」。「犬をおそがる」がいつのまにか「犬がおそがい」に、つまりは動詞から形容詞への品詞の転成が生じ、「おぞい」から「おそがい」へと、再形容詞化が生じたに違いない。 要は実に長い道のりだったという事だ。まずは形クから形シクへの転成、そして接尾語「がる」がくっつき動詞への品詞の転成、この動詞の中間モーラが脱落し、そして出来た新しい動詞から形容詞への品詞の転成が再び生じて、なんとまた再形容詞化してしまった「おそがい」という飛騨方言形容詞。このプロセスっておそらく一千年かかっているんだろうなぁ。決定的証拠は「おそがる」という動詞の存在だ。ぶふっ 君:ほほほ、よかったわね。思わぬ資料が語源追及の突破口になって。 私:この紙面をお借りして著者・大森貴絵さんに謝辞を述べたい。数度、メールのやり取りがあって、まんざら他人ではないと勝手に思っている。飛騨方言の絵本を出版して欲しいとお願いしたはずだが、ご返事は無い。 君:ふられ左七という事ね。おそがら/ぬ/らむ/ずて/貴絵の君に/こそ/再び/メール/させ/たら/まほしけれ。ほほほ |
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