大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

しこ(=みっともない姿)

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私:表題の飛騨方言の名詞だが、アクセントは平板。例文としては「なんてしこしとるんや(=なんというみっともない恰好をしているのですか)」のように使う。或る思い入れがある。
君:例えば、子供の頃に叱られた思い出とか。
私:いや、僕が方言にのめり込んだきっかけ。
君:きっかけ?
私:子供心に飛騨方言である事は理解していた。意味も。うーん、17年前に書店で偶然にも目に留まった新刊(2005)の文庫本。西郷信綱・集英社文庫・日本の古代語を探る−詩学への道。
君:なるほど、そこに書かれていたのね。西郷先生は古典学者。古事記や万葉集で有名なお方ね。
私:「シコ」という語をめぐって−一つの迷走、という章にぎっしりと書かれて、この飛騨方言が古代語である事を知り、左七の心に電撃が走った。
君:一言で説明をお願いね。
私:代表的な古代語。和語だ。万葉集には「シコ醜」が十回、用いられている。意味は醜悪なるもの、疎ましいもの。他の名詞に冠したり、連体助詞「つ」「の」を介して他の名詞を収束する用い方が普通。
君:どうして都の言葉「しこ」が飛騨に残っているのか、飛騨工が持ち帰ったという訳ね。
私:だろうね。というか、僕にはそれしか考えられないな。平城京の造営にあたったのは、ほぼ全員というか、飛騨工だ。彼等無くして造営は出来なかった。がしかし実態と言えば租庸調の人頭税として出されたマンパワー、つまりは奴隷も同然、重要な仕事をにないつつもさげすまれた人達だったという悲しい歴史、という事じゃないかな。
君:「しこ」とは飛騨工のおのがじしが感じた言葉というわけね。
私:そう。自虐の言葉。
君:可哀想。
私:虐待の連鎖じゃないだろうか。
君:どういう事?
私:都でシコと呼ばれた飛騨工が故郷へ帰り、今度は自分の子供をシコ呼ばわり。
君:ほほほ、考え過ぎよ。「なんてしこしとるんや」という言葉は実に教育的な内容だわ。ほほほ

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