大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

しんがい

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飛騨方言の名詞「しんがい」ですが、意味は「へそくり」です。私は1953年の生まれで、故郷は高山市久々野町大字大西、地元・斐太高校を卒業し、以後は名古屋界隈に50年ほど住み続けています。つまり名古屋方言が身につき、飛騨方言は完全にアウトサイダーです。今まで聞いた事のない飛騨方言「しんがい」ですが、幾つかの飛騨方言サイトからの発信もありますし、方言学の文献に記載はあるし、方言辞典にも当然ながら記載はあるし、まぎれもない飛騨方言なのでしょうが、2020年現在、どの程度、話されているのでしょうか。勝手な想像ですが、死語に近いと思うのですが。

私は知らない言葉の語源探しに現を抜かしているのですから、読者の皆さまは私の事を変人とお思いになるのは構いませんが、若しかして私が本業の医師の仕事をないがしろにして毎日、血眼で新しい方言の話題を探し回って、医者だてらに心が病んでいるのでは、などと邪推なさいませんように。私は仕事の合間の息抜きにやっているだけです。週末に旅行する事も多く、そんな場合はサイトは迷うことなくお休みです。一に家族、二に仕事、三に趣味(飛騨方言)が信条、その趣味も他に旅行、音楽、二輪、文学、等々、あれこれありますが、一つくらいは社会との接点を持とうと考えて、最近はもっぱら方言サイト内容拡充です。日々は音楽に一時間、文学に一時間、週末は半日を二輪に割いています。

前置きが長くなりすぎましたが、「しんがい」の語源を先ほど来、あれこれ、ネット検索やら辞書やら、調べものをして、ふふふ、有力候補を見つけてしまいました。語源は「しがい絲鞋」でしょうか。天下の折口信夫先生の説です。

さて、私の語源探しの常とう手段としては、三省堂・"現代語から古語を引く辞典"を皮切りに、片っ端から古語辞典にあたるという手法ですが、「へそくり」の古語は「へつりがね」「へづりがね」「ほそくりがね」「ほぞくりがね」です。ところが以上の古語からのアプローチはアウトでした。ついで小学館・"標準語引き方言辞典"を調べますと、うひゃーっ、「へそくり」を示す言い方はざっと70-80種類、なかでも「しんがーぜに・島根」「しんがい・全国」「しんがいぜに・全国」「しんがいぜん・新潟富山」「」しんがいもうけ・島根」「しんげ(ぜん)・長野」等の記載があり、「しんがい」と同根と考えられる言葉のオンパレードです。つまりは「しんがい」は全国共通方言なのです。言い換えれば「しんがい」の語源は古語にあるのです。決定的ですね。このセンスはとても重要です。国語の大原則、方言周圏論と言ってもよいでしょうね。柳田國男先生は天才です。ぜっ、前頭葉、でかい。流石です。畏るべし柳田國男。気を取り直して古語辞典に再びあたるしかありません。

同時並行的に全国の方言情報も調査開始です。私の蔵書は飛騨方言に関するものと学術書だけです。各地の方言集を集めていたら切りがありません。従って私の全国の方言研究はネット検索が唯一の手段です。すると偶然に折口信夫著「方言」の情報がヒットしたのです。蛇足ながら同書は著作権が無くなってアマゾン社のご厚意によりキンドルから無料ダウンロードできます。
〇へそくり・しがいせん雑誌郷土研究時代では、随分へそくり・しがいせんなどが、問題になった。わたしは、へそくりは綜へ朧ク繰りで、家族の私有の利得は、其辺から得たものと信じてゐるので、しがいせんも、しんがい・しがいなど一言ふ、糸蛙を作って、めいめいの小遣ひ銭 ...
どうやら「しがい」が語源かな、と思って( in order to reconfirm ...)古語辞典を再び開いてみてびっくり仰天でした。「しがい糸蛙」の横に「しがい(しんがい、の転)新開」の言葉の記載があるじゃないですか。直ちに同辞典の「しんがい新開」を紐解くと、
しんがい新開・・山野を切り開いて、新しく田畑を作る事。領主から新開と認定された土地は年貢賦課の対象とされず、私有が黙認された。転じて、私的な蓄積。吾妻鏡云々
なんのことはない、吾妻鏡、つまりは鎌倉時代から「しんがい」は庶民のへそくりの意味で用いられてきた言葉だったのでした。やっほう、これですべて説明が付きます。誰に理解してもらわなくてもいい、努力した者だけに与えられるご褒美。つまり私は幸せ。ふふふ、ここで再び小学館・標準語引き方言辞典のお出ましです。つまりは全国各地の方言の音韻は「しんがい」と同根であり、「しがい」の音韻に属する言葉は該当無しでした。つまりは折口信夫先生は致命的な考え違いをしてしまったのです。先生は偶然に或る地域あるいは村で「しがい」と呼んでいる事の事実から半ば強引に「糸蛙」と結びつけてしまわれたのでしょう。そして著書「方言」が出版されてしまったという訳です。取り返しのつかないことです。判りやすく言い換えると、折口信夫先生は「へそくり」が実は全国的には「しんがい」である事をお気づきでなかったのです。慢心。悲しき折口信夫。私も語源を探索するのに少しばかり回り道をしてしまいました。始めから古語辞典で「しんがい」を調べれば良かったものを。そこには「しんがい新開=土地をへそくりする事」と記載してあるのですから。・・心外でした。

実はステレオ思考で日葡辞書にも当たった私。 Xinguai= Cocorono foca つまりは、心外=心の外 の記載です。この記載が目に入るや若しかして「心外」が語源かな、と一瞬、考えたくらいです。嗚呼、おろかな私。でも冷静に考えれば、心外は語源ではありませんね。新開も心外も、思わぬ事・心予期せぬ事、という意味では表面上は同じ意味ですし、音韻も「しんがい」にて共通です。そうは言っても、新開は「だからとても得な事」の意味ですし、心外は「だからとても損な事」の意味です。つまりは両語の真の意味は正反対の意味です。ですから心外はへそくりの語源ではありません。

こうやって今日も、ちょいとした方言お遊びが出来ました。振り返ってみれば結構、楽しく遊べました。私は折口先生のあら捜しまで仕出かしてしまいましたが、民俗学・国語学への冒涜でもなんでもありません。先人のご業績が後世にあれこれ指摘されるのは仕方無い事です。私事ながら、金田一春彦先生の著書の中にも間違いを発見した事がありました。ただし私がそう思っているだけです。世間様に公表しようか、迷っています。皆さまには、方言の学問って相当に奥が深そうだし結構おもしろそうだなあ・どうやら理詰めで勝負の世界のようだな、と感じていただければ私は本望です。

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