大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

たあけ

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私:今日は飛騨方言の名詞「たあけ」のお話でも。
君:ちょっといくらなんでもよしてよ。共通語の「たわけ」の事でしょ。一体全体、何の議論の価値があるというの?
私:君の反駁はごもっとも。ただし、これは音韻のお話じゃないんだ。
君:ほほほ、語源ね。それも月並みすぎるご発表だわ。「たわけ」の語源は古語「たはく淫・戯」(自カ下二)、意味は「ふしだらな行為をする・愚かになる」、これの連用形・つまりは名詞化という事で「たはけ」、誰でも知っている事よ。
私:ははは、その通りだね。おまけに民間語源というものもあって「田分け」、つまりは子供が複数いたからとて財産分与で田を分割してしまうと、子供は皆が破産してしまいますよ、という事で気持ちとしては、わからなくもないね。例え学問的に間違いだとしても。
君:では、おしまい。
私:いやいや、ついでだから、飛騨方言には「たあけたいな」事という慣用句がある。
君:よく使うわよ。意味は「とてもバカバカしい」事という意味ね。
私:では、「たいな」とは何だろう。
君:複合助詞か文末詞、要は用言に接続する非独立の修飾語よ。
私:そりゃ、そうなんだが。「田分け」とは「田」を「分ける」事だから、これを古語の観点から考えてみよう。
君:ほほほ、面白いわ。「わく別・分」(他カ四)ね。つまりは「田分け」の古語は「たわく」(他カ四)であり、「たはく」(自カ下二)ではないというなのよね。
私:その通り。俄然、面白くなってきたでしょう。せっかくだから活用してみよう。これを君にやっていただくのはあまりにも失礼だ。不肖・私目が。「たわく」(他カ四)の活用は「か・き・く・く・け・け」、そして「たはく」(自カ下二)の活用は「け・け・く・くる・くれ・けよ」。
君:つまりは連用形は「たわく田分」(他カ四)では「たわき」、一方の「たはく淫・戯」(自カ下二)では「たはけ」。つまりはどう考えても「たあけ」の語源は「田分」じゃないわね。
私:それにね、飛騨方言「たあけたいな」の「たいな」の部分だけど、完了・過去の助動詞「たり」+指定の助動詞「なり」、つまりは「たるなり」じゃないのかい。「たあけたいな」は「たはけたるなり」だと思うよ。
君:そりゃそうね。
私:それに飛騨方言はイ音便のオンパレードだから、「田分き」だって普通は「たわい」になってしまうよ。これに「たいな」の接続も可能だろうが、「たわいたいな」になってしまう。よしんばイ音便にならなかったとしても「たわきたいな」という言葉になるが、実際にはそんな飛騨方言の語彙は存在しない。
君:そうよね。
私:ついでだから落語みたいな落ちにしよう。
君:ほほほ、それが無くちゃこのサイトの存在意義がないのよね。
私:ほめ殺しでもうれしい。ありがとう。では、飛騨方言でも共通語でも「何て事をするんだ、ばかやろう!」の意味で「たあけ(たわけ)!」って言うよね。
君:それがどうしたの。
私:おいおい、「たはく」は下二段活用だよ。「たわけ」は動詞の連用形が独立して体言になっているわけではなく、命令形だぜ。「たあけ(たわけ)!」が体言だと「愚かな行いです。(それを知っておきなさい)」という意味だけど、命令形なら「おおいに馬鹿な事をやりなさい」になっちゃうんだよ。だからそのように言われても、悪い事をやめろ、と言われているか、おおいにやれ、という言われているのか、判断がつかないんだよ。
君:屁理屈ね。そういうのを飛騨方言では「たあけと長う話をしとるとたあけがうつってまう」というのよ。

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