大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

てんで(に)・副詞句

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私:今日は副詞句の「てんで」の話でもしようか。
君:てんで面白くも無いわ。
私:いきなり、厳しいお言葉だな。てんで問題にもしてくれないとは。
君:うそよ。共通語と飛騨方言では決定的な意味の違いがあって、重要なお話だわね。
私:ありがとう。その言葉を待っていた。場合によっては人の命にかかわる事でもある。これについては後でまた。さて、共通語の副詞句「てんで」だけど、打消しの文章が続いて、意味としては「はじめから」「あたまから」「まるっきり」「まったく」という意味で使うよね。
君:それが飛騨方言でも副詞句ではあるものの、意味は異なっていて、「各人がめいめいに」「おのおので」、つまりは「集団行動をとらずに」「個人の判断で」という意味で使うのよね。古語「てんでに手々に」も全く同じ意味だかから、全国各地の方言になっているのでしょ?因みに出典は平家。元々は「手に手に」が「てんでに」になったのだわ。
私:おっしゃる通り、戦の基本、個人戦、各々が手に刀を持って、というところから来たのだろうね。もう一つの可能性としては「てんでん展転」(名・自サ変)、意味は「ころころと変わる事」。
君:方言として重要な言葉は「津波の時はてんでんこ」(に逃げる事)よね。東北震災の時にマスコミが繰り返し紹介していたわ。海岸に面した県の方言に残っているのよね。
私:とても良い質問だ。僕もそうじゃないかと思って先ほどは日本方言大辞典他、資料をあれこれ調べたが、福島・長野・静岡・新潟・千葉・福井・山形・千葉・島根、等々、全国だった。飛騨でも「てんで(に)」は使用するし、僕が生まれ育った村・高山市久々野町大字大西村でも「てんでんこ」は使っていたが、飛騨の記載は無かった。平安の古語に由来するのだから全国各地に残っている事は何ら不思議な事ではない。
君:むしろ、中央で意味が変わってしまった事が問題かしら。「津波の時はてんでんこ」は島国日本の共通問題だから、総務省あたりがキャンペーンしてくださらないかな。
私:というか、マスコミが繰り返し伝えるとか、有名人、さしずめ各県知事が情報発信してくださるといいのじゃないかね。
君:ではおしまい。
私:ついでだから「てんでんこ・でんでんこ」「でんでんこー・てんでんこー」「てんでんこんこ・でんでんこんこ」等々、ざあっと十種類以上で各地の方言になっている虫がいる。
君:ほほほ、何を簡単な質問を。「でんでんむし・カタツムリ」の事でしょ。古語は「ででむし」よ。
私:そうだね。古語は元々は「出い出い虫」、つまりは「いづ出ず」(自ダ下二)の命令形なんだよね。当然ながらカタツムリの方言には「でーでー・てーてー」「でーでーむし・てーてーむし」もある。
君:カタツムリはいいから、副詞句「てんで(に)」が各地の方言で別の言葉になっていないかしら。
私:ははは、そうだったね。「てんでこ・岩手」「てんでっこ・静岡」程度で、実はほとんど無いんだ。然も二語とも語幹は同じ、つまりは「てんで」の意味も音韻も共に一千年ほど変化していない。唯一、中央で意味が変わっただけ。飛騨方言の「てんで」のアクセントは共通語りそれと同じく尾高だ。
君:中央でいつ意味が変わってしまったのか年代測定が出来るわよ。
私:その通り。各種の辞典のチェックだね。・・・おい!大発見だ。中央で意味が変わってしまったのは昭和31−44の間だ。
君:ほほほ、昭和31つまり大言海には「てんで・各々」の記載が、昭和44つまりあなたが昭和47年に名大生協書店で買った昭和44角川国語65版には「てんで・全く」の記載があったのでしょ。
私:その通り。明治の辞書・言海も日葡も「てんで・各々」の記載だった。一千年も続いた言葉「てんで・各々」がどうしてまた昭和35年あたりに突然に「てんで・全く」に変貌してしまったのだろう。
君:昭和35年あたりと言えばあなたは小学校に入学、一方、生まれて間もない私。お互いに判る由もないわね。ほほほ、これはもう飛騨方言の紹介うんぬんの話ではなく、実は二人が子供の頃の共通語「てんで・各々」のお話だったのよ。ほほほ

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