大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
うたてい(形ク) |
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私:今日は飛騨方言の形容詞「うたてい」について。 君:「恐縮します」「畏れ多い事です」という意味の形容詞よね。他に代表的な同意フレーズは「あーれ、こーわいさぁ。」。 私:実に興味のある形容詞だね。 君:古語「うたてし」(形ク)・「うたて」(副)とは意味が逆転しているという事ね。 私:そういう事。いろいろと意味はあるが大雑把に良い意味「良」と悪い意味「悪」にわけると、手前の古語辞典は次のようになる。岩波4悪、三省堂5悪、大修館7悪、旺文社9悪、学研5悪。つまりは全て悪い意味。良い意味など一つも無い。 君:旺文社が健闘しているわね。 私:学研はコンサイス版で頁数にしては健闘している。最強コスパと言ってもよい。 君:では、小学館・日本方言大辞典全三巻のお出ましね。 私:結果はおよそ想像つくよね。 君:そりゃ勿論。各地の方言になっているのだから方言量は多いのよね。 私:方言量は確かに多い。当り前。だが、何か勘違いしていないかい。 君:方言量以外の事をおっしゃりたいのね。あっ、そうか。「うたてい」の意味が幾つあるか、というご質問だったのね。 私:その通り。方言学辞典における方言量の記載は古語辞典における出典の記載に似たようなものでしょ。 君:つまりはソシュール学説。シニフィエね。 私:その通り。 君:ほほほ、わかるわ。飛騨方言ではよい意味で使うのだから、飛騨方言「うたてい」は0悪・1良なのよ。 私:その通り。小学館・日本方言大辞典全三巻では9悪・2良だった。 君:二つの事が言えるわね。 私:ははは、お察しの良いお方で。 君:ひとつは、方言では悪い意味の種類が増えた事。 私:ははは、もうひとつは古語には無い良い意味の使い方が出現した事。 君:つまりは古語とは真逆の意味の使い方。 私:そうだね。あれこれ沢山の悪い意味を書いてもしかたない。ひとつは「ものをもらった時のお礼の語」。これは飛騨方言の使い方だ。これがなんと飛騨方言だけ。「おうたて」滋賀県坂田郡の記載もあるにはあるが。 君:あらら、限定的ね。 私:そうなんだ。これには目から鱗だった。確かに、それ以外には使わないね。好意に対しても「うたてい」というが、善意というものをプレゼントされた事には違いない。なにか厄介な事を代りにやってくださったとしても、結果としては心の平和をプレゼントされた事へのお礼とも考えられる。 君:それと飛騨の俚言という事なのよね。 私:おっしゃる通り。飛騨方言ラインスタンプの字句では一押しの言葉だね。スタンプに必要なのはまずは挨拶言葉。「うたてい」がないようでは真のラインクリエイターとは言えないね。 君:言葉は慎重にお選びになったほうがいいわよ。 私:Oh, thank you. You are warning me just for an added precaution, うたていお心遣い、ありがとう。 君:You're welcome. By the way,「2良」のもうひとつの意味は何? 私:同辞典の記載のままに。「驚いた時や非常に疲れた時などに感動詞的に用いる。おや。まあ。ああ。」佐渡・高知・東京都大島。 君:へえ、大島ね。八丈方言、万葉方言じゃないの。大島と言えばツバキね。 私:だね。上代に飛騨も佐渡も高知も辺鄙な処、飛騨以外は大島はじめ流刑の地として有名。なにがしかの共通項がありそうだ。 君:ほほほ、妄想よ。 私:ははは、なんとでもおっしゃい。念願かなって大島も訪問した事がある。万葉方言を求めての感傷旅行だった。人生は残り少ない。気がかりな事は元気なうちにやっておく事だ。でないと人間は死ぬときに後悔する。大変な波だった。フェリーが運航されるか冷や冷やだった。着いたら着いたで熱海に戻れるかも危ぶまれた。 君:天気晴朗なれど太平洋の沖つ白波波高し、だったのね。 私:ああ、その通り。余談はさておき、「うたてい」の言葉の意味の逆転について考えてみよう。 君:あら、簡単な事。ぞっとするほど恐ろしい事、という意味が、恐縮・身に余る光栄の意味になってしまうのは人情としては自然な事だわ。 私:そうだね。ただし中央ではやがて死語となり、飛騨の俚言となって、しかも意味が逆転して今も使われている。 君:稀有な品詞なのよね。 私:「うたて」「うたてし」が古語の最重要品詞である事は間違いない。かつて高校時代に古語辞典に発見し、興奮した事を覚えている。 君:そのような感動が方言に対する興味をいだくきっかけになるのよね。 私:田舎に生まれ育った人間の特権だね。方言学者といわれる方々は例外なく片田舎のご出身だ。 君:金田一春彦先生も? 私:あのかたは東京の下町だっけ。彼の場合はお父様・京助氏(東京帝大教授)のプレッシャーだろうね。京助氏は盛岡のご出身。 君:また、脱線したわよ。 私:そうそう、大切な事を思い出した。 君:「うたてい」に関してよね。 私:勿論。語源は「うたて」(副)、これは「うたてし」(形ク)の語幹と言ってもよいが、もっとさかのぼると「うたた転」(副)が語源だよね。 君:そうね。どうかしたの。 私:平安の言葉だが、同時代に「うたたね仮寝」がある。当然ながら同根と考えていいよね。 君:勿論だわよ。 私:語源辞典には「うとまし疎し」(形シク)と同根との記載がある。東京書籍・語源海・杉浦つとむ。ウタウタからウタタの音韻変化で、ウタが根源らしい。古事記、万葉集は「うたた」のみで「うたて」は一切、現れない。「うたて」は平安時代、十世紀に突然に出現したらしいよ。平安時代当時は実にナウな言い方だったんだよね。また「うとまし疎し」(形シク)も「うたてし」(形ク)と同様に古い品詞だね。 君:ほほほ、そうね。 私:そうね、は結構だが、何か気づかないかい。 君:えっ、何かと言われても。 私:実はね、僕は以前からずうっと疑問に思っていたんだ。 君:疑問とは。 私:形容詞にはどうして「ク活用」「シク活用」の二種類があるのだろう、と。 君:ほほほ、「うとまし」から語幹「し」が脱落して「シク活用」が「ク活用」うたてし、に変化したのかも、と考えたのね。 私:実際に、「うたてし」は中世に一時、シク活用になって先祖帰りをした事がある。(広辞苑) 君:確かに「ク活用」「シク活用」で揺らぎがあるのよね。 私:そもそもが全ての形容詞は初めに「シク活用」があって、それから一部の形容詞が「ク活用」になったのではないだろうか。代表例が「うたてし」。あっ、馬鹿にしているな。 君:そりゃ馬鹿にするわよ。古代に「赤しい・高しい」なんて言ってた訳が無いし。あがせは、一千年以上もひたすらに「シク活用」なのが「うつくし【愛し・美し】」だ、なんて言い出しそうだし。 私:ははは、おバカさんついでに他にもある。ういういしい、こいしい、こうごうしい、いとおしい、をかしい、なつかしい・・心がお花畑だ。 君:貴方の意図が見え見えだわよ。いい意味の言葉ばかり選んで。図々しい、騒々しい、狂おしい、危なっかしい、毒々しい。 私:君こそわざと古語じゃないのを選んで。 君:結論としては、古語の形容詞には口語で「い」で終わる語、例「たかし・ひろし」、があって「ク活用」、もう一つの語群が口語「しい・じい」で終わる語、例「うつくし・すさまじ」があって「シク活用」。つまりはそもそもが初めに「ク活用」と「シク活用」ありき。手抜きは駄目、ひとつひとつ覚えるしかないわよ。「うたてい」は特殊な形容詞なのよね。 まとめ ク活用とシク活用の違いは語幹の最後に「し(じ)」が無いか(ク活用)、あるか(シク活用)の違いなのでしょう。語幹の末語「し(じ)」と活用語尾「し」は一見して紛らわしいのですが、語幹をどの部分までと認識するかで「ク活用」と「シク活用」の違いが出るようですね。若し間違っていたら御免なさい。「うたてし」の語幹は「うたて」、「うたて」の語源は「うたうた」にて「うたてし」の根源(語源の根幹)はオノマトペ「うた」です。また、誰にでも判り易い分類としては、感情表現はシク活用(例、いとしい)、感情のない表現はク活用(例、赤い・高い)、という事でもいいですね。 |
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