大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

やっぱり(やはり)

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私:共通語「やはり」の事を飛騨方言では「やっぱり」「やっぱ」「やっぱし」などと言うが、全国で話されている言葉だね。くだけた言い方という事で若者言葉かもね、というところだが、飛騨方言では年齢に関係なく使用する。僕もつい口から出る事がある。
君:方言学のお勉強は結構ですが、これって単なる俗語じゃありません事?
私:なあんだ、君も「やはり」そう考えていたのか。実は僕も。でも、「やっぱり」は語源辞典にあるわ、日葡辞書にあるわ、これって立派な古語だよ。
君:あら、そうなの。手短にお願いね。
私:まずは「やはり」の説明から。語源の定説があって副詞句「やをら」だ。意味は「そっと、静かに」。源氏や枕草子に出てくる。更に関係する古語が「やはら和・柔」名・形動ナリ。意味としては物質が弾力に富むさま、物事がゆっくり進むさま、性質・状態が物静かで穏やかなさま。名語記(みょうごき)、鎌倉時代の語源辞書、に出て来る。やがて「やはら」は副詞句になり、中世には「やわら」の表記も出現する。そして中世には音韻変化して「やはり」が出現する。「やはり」の出典は史記抄(1477)。意味は「動かずにじっとしているさま、そのままでいるさま」。それが次第に「依然として」とか「予想通り」の意味に転じて現代に至っている。
君:現代語「やはり」の語源が「やをら・やはら」である事はわかったけれど、促音便「やっぱり」は、やはり、俗語という認識ではいけないのかしら。
私:そこで出てくるのが日葡辞書だ。Yapparacaide gozare ヤッパラカイデゴザレ「じっとしていなさい」の記載がある。Yappare gozare ヤッパレゴザレ「じっとしていなさい」の記載もある。つまりは中世・近世において畿内方言で「やはり」が「やっぱれ」と促音便化したんだ。ただし「やっぱれ」の意味は「動かないでじっとしていて」。だから現代語の「やっぱり」とは意味が違う。これが現代の全国の方言となっていて、飛騨方言の「やっぱり」になっている。「やっぱ」は「り」の脱落、「やっぱし」は子音交替というわけ。
君:なるほど俗語ではないわね。ルーツは「やをら・やはら」で畿内で促音便化した後に全国の方言になったという事なのね。意味が一貫して変化していないのが「やをら」で現代語としても通用するかもしれないけれど、「やおら立ち上がる(ゆっくりと立ち上がる)」という文はなんだか文語的的だわよね。「やはら」は現代語「やわらか」に通じて同じ意味だけれど、「やはら」が室町時代あたりに畿内あたりで突然に促音便「やっぱれ」になった瞬間に「物事などが一向に変わらないさま」という意味に変じ、これが更に意味が強調されて「相変わらず何も変わっていない、何ら事態が変化しない、ああじれったい」という用法になって「やっぱり」の形で現在に残るのが飛騨方言はじめ各地の方言であり、共通語では母音交替で「やはら」が「やはり」に変化したのね。
私:その通りだ。「やはら」から「やっぱれ」と「やはり」の二つの言葉が出来た。「やはり」が訛って「やっぱり」に音韻変化したわけではない。文献的には「やはり」は江戸語かな。だから「やっぱり」が「やはり」より古い言葉の可能性すらあるんだ。面白いのが畿内で促音便になり、板東で母音交替、という事か。普通は逆だよね。不思議だ。だから、たかがひとつの言葉だが、実に味わい深いものがある。今日も方言の神様と握手が出来た。という事で・・・・実は・・いつもの如く、以上が前置きだ。ふふふ
君:ちょっと、やめてよ。あなたって人はやはり(いつもそうやって人をからかって)。じゃあ本日の結論をまず最初に言ってちょうだい。
私:ははは、では。「やはら」つまりは優柔不断なさまから、室町辺りに「やっぱれ」つまりは「あーあ、あの調子だからなあ、何も変わっちゃいない、やはりねえ」という意味で「やはり」の意味に変貌してしまった現象だが、方言学ではたった一つの用語で説明が可能だ。ヒントは片仮名。
君:・・片仮名ね。・・わかったわ、アスペクト。
私:その通りだ。アスペクト表現だ。アスペクトとは動詞に付属するモダリティで、時間経過をどのように認識するのか、という概念だ。例えば「とうとう、ここまできてしまった」とか。「やはり」というのは過去と現在を比べて変化が無い、あるいは非常に少ないという意味の副詞で、だから「やはり」と言う副詞句には必ず、相方のアスペクト動詞が要るんだよ。ところがこのアスペクト動詞が明示されていない事のほうが多いのが日本語の特徴で、つまりは、そんな事を書かなくてもチョイと考えればわかるでしょ、という事。
君:アスペクトは譲るとして、あなたは何を当り前の事をおっしゃっているの。前置きで「やはら」は副詞だとお書きになったじゃないの。
私:あっ、そうだった。一本取られたな。では早速に方言学のハイライトにしよう。「やはり」を意味する方言は全国にどれだけあると思う?
君:それほど多くは無いと思うわ。
私:やはり(そう思うかい)。この際だから、小学館日本方言大辞典全三巻の該当語彙を全部、書き出してみよう。「ごーじゃれ」八丈島、「やがて」秋田、「やっこし」山口、「やっさり」淡路島、「やっぱ、やっぱし」全国、「やんで、やんでが」秋田。たったこれだけだ。
君:「やんで、やんでが」は「やがて」と同根よね。「やっこし、やっさり」は「やっぱ」と同根だわ。
私:そうだね。だから「やっこし、やっさり」のアスペクトについては説明の必要はない。「やがて」のアスペクトも「やがて〜する」という意識から生まれたアスペクトである事は書かずもがな。
君:となると八丈島の「ごーじゃれ」が異質よね。明らかに音韻も異なるし。
私:僕はアマチュア故、八丈方言について語る資格は無いが、それでも素人なりの説を書かせていただくくらいは許されるだろう。ところで八丈方言の別名は?
君:万葉方言よね。
私:その通り。現在の本土方言には残っていない、とりわけ古い言葉遣いが残っているのでそのように言う。「ごーじゃれ」って「ござる」の已然形か命令形だろうか。「なかなかいらっしゃらないが、おっ、とうとういらっしゃった、やはりね」というようなアスペクト表現と考えたい。
君:なにが万葉方言よ。「ござる」は「ござある御座有」の転で、万葉ではなく中世の言葉で「ござります」。変な事を書くと人さまに笑われるわよ。
私:やはり(笑われちゃうかな)。
私:うべしこそ。ひとみなやをらおもひたまふべし。

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