大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
「ぞ」という飛騨方言終助詞の正体 |
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私:飛騨方言の言い回しでも人気度で横綱級が「そしゃそやぞ。」という言い回しだね。 君:長々と続く会議、結論がまとまらない、ところが誰かの一言が瞬時に皆の共感を呼び一気にまとまった時、議長さんが発する言葉ね。 私:その通り。「そしゃ」は「そうせや」つまりは「そうすれば」の意。「そやぞ」は「そうじゃぞ」の意味。逐語訳すると「そうすれば、そうですね」という事なのだが、意訳すると「異議なしですね」という事になる。今日はこの「ぞ」について考えて見たい。口語では「さあ行くぞ」の文例の如く、聞き手に対して自分の発言を強調する機能の終助詞。先行用言は終止形。体言に対しては「だ」を付加して「さあ時間だぞ」のように用いる。男性が使う言葉遣い。 君:やれやれ、昨日の飛騨方言の終助詞「さ」に続く終助詞第二弾。でも共通語と飛騨方言で意味も語法も変わりがないのだから、あまり有益な議論にはならないわよ。 私:確かにその通り。指定の助動詞「だ・じゃ」の東西対立では飛騨は西側「じゃ」なので「そやぞ」になるという特徴があるけれどね。ところで鬼滅の刃にお株を奪われたが、京アニ「君の名は」の人気も相当なものだったよね。飛騨方言大爆発というようなアニメだったから、地元民の僕としては本当に嬉しかった。DVD他、グッズを集めてしまったんだよ。今日の話は「君の名は」にチョッピリ関連している話だ。蛇足ながら「君の名は」の方言監修は下呂市出身の声優・かとう有花さん。公式サイトはここ。 君:「そしゃそやぞ」の台詞が「君の名は」の中に出てくるのかしら。 私:全編が飛騨方言大爆発だから、「君の名は」の飛騨方言の量はそんなレベルの話では無い。僕が注目するのは題名「君の名は Your Name」、これを古語では何と言う? 君:「わが/せこ/が/な/こそ/しら/まほし/けれ」。 私:そんな長い文章ではなく、四文字の名詞だよ。ヒントは夕方と明け方。 君:ほほほ、明け方「かはたれ彼誰」と夕方「たそかれ誰彼・黄昏」ね。 私:その通り。「君の名は」は糸守の町に巨大隕石が落下によって消滅する運命にある事を偶然に時限を超えて知ってしまった主人公が町を救う物語。時刻は盆踊りの時間帯である事からも「かはたれ」ではなく「たそかれ」。つまりは表題「君の名は」を振り返って僕は直感した。「君の名は」は古語「たそかれ」を意訳して巨大隕石の落下時刻「黄昏時たそがれどき」の暗喩になっているんだ。 君:なるほど、一つの解釈ね。どこかに書かれていたのでしょ。 私:いや、どこにも。それどころか「君の名は」では糸守高校の古典の授業の一コマもあるが、板書されたのは「かはたれ」。アニメに「たそかれ」の言葉は出てこない。このことに気づいたのは僕だけの可能性がある。 君:ほほほ、わかったわ。「たそかれ」から「そしゃそやぞ」の話に持っていくつもりね。 私:ははは、お見通しだね。正にその通り。「たそかれ」の「そ」と「そしゃそやぞ」の「ぞ」は同根なんだよね。 君:よく気づいたわね。その通りよ。 私:皆様に判り易く、ひとつひとつ順番に説明して行こう。上代の日本語には、そもそも終助詞「ぞ」は存在しなかった。存在していたのは係助詞「そ」。 君:「たそかれ」は二つに分解可能で、「たそ」は「だれですか」、「かれ」は「あのおかたは」の意味。Who is he? つまりは遠くの御方か見分けがつかなくなるほど夕闇迫る事を言うのだわ。 私:その通り。係助詞「そ」は体言に接続し、取り立てて指示し、強調する機能の助詞だ。「本当に〜な」「実に〜な」とでも訳せばいい。「たそ」はだから「本当に、いったい誰なんだろう」という強調の意味だよね。 君:その通りよ。「いったいぜんたい」を付けてもいいわね。 私:うん。そしてそれが奈良・平安に、強調の意味を際立たせるあまり濁音化する。係助詞「ぞ」の誕生。いつも疑問に思う、なぜ怪獣の名前はガギグゲゴなんだろう。 君:平安に係り結びが流行り出すのね。そしてあなたの決まり台詞と言えば・・ 私:そう。「我が庵は都の辰巳、鹿ぞ住む。世を宇治山と人は言ふ也」。 君:用言を連体形で結ぶ。 私:可児市だが、田舎だ。緑が多いと言ったほうがいいかな。野生の鹿はいないが、アライグマ、イノシシの目撃情報多数だ。バラの種類が世界一の花フェスタ記念公園がある。岐阜県が運営している。 君:この係助詞「ぞ」が終助詞「ぞ」に変化する過程に方言ロマンスを感ずるのね。 私:その通り。日本語の歴史を書いた成書を幾つか斜め読みしてみたが、既に平安から係り結びが消滅しかけているし、中世には消滅してしまった。文末の「言ふ」「聞く」「ある」「あらむ」などは省略されて「ぞ」が文末に繰る事も当り前になってしまった。動詞終止形・連体形の区別がなくなり、「ぞ」+連体形という概念がなくなってしまった。なんやかやで江戸時代には、特に江戸後期以降は「ぞ」は終助詞として確立して近世語「ぞ」の誕生、そして現代に至る。 君:文例お願いね。 私:「我が住居は名古屋の辰巳、住む鹿ぞ。」「僕の診療所は名古屋の北、田舎も田舎で、つまりはなんと鹿(が出る町)ですよ。」 君:「なにとぞお願いします」の副詞句も係助詞「ぞ」がルーツなのよね。 私:体言+「ぞ」+連体形、あらため、体言+「の」+連体形+「ぞ」などという言い方まで出現する始末。つまりは「鹿の住むぞ」。こうなっちゃうと「鹿が住むぞ」になるのは時間の問題。 君:「大納言何事ならんとぞ申されければ」が「何言ならんぞ」。現代文に通じちゃうわね。 私:「申されけるとぞ」が「申されけるぞ」。時は室町、というか、ほぼ現代文だね。 君:なるほどこうやって係り結びが消滅、省略されたのよね。 私:ところで君ならお手の物だろう、「そしゃそやぞ」を係り結びが有りで平安辺りの古語に訳すとどうなるのだろう。ここは飛騨方言と日本語の歴史について考えるサイトだぜ。 君:「さすれば、(出席者全員が)さであるとぞ(結論する)(めでたし)」、一切省略せずに表すとすれば「さ/すれば/さ/である/と/ぞ/皆の/ひと/おもひ/おく/べし」くらいかしらね。 まとめ 理系頭で考えるとどうしても納得できないのが、主語についている「ぞ」がどうして術語にくっついてしまうのだろう、と言う素朴な疑問でしょう。「鹿ぞ住む」は「鹿が住んでいます」という意味です。「ぞ」は強調ですから「鹿なんぞが住んでいます」と訳せばもっと正確ですね。実は「鹿ぞ住む」の「住む」は連体形です。「住む鹿ぞ」と考えてもいいでしょう。倒置法の言葉のお遊びです。「住んでいる鹿なんぞです。」という意味です。ここで出てくるのが日本語の得意技、わかっている事はわざわざ書かなくても、つまりは省略してもかまわないという、英語等、日本語以外には無い特有な現象です。住んでいるのが鹿に決まっていれば、わざわざ「住む鹿ぞあはれ」と言わなくても「(鹿が)住む・と・ぞ(あはれ)」改め「住む・ぞ」で意味が通るのです。かくして主語「鹿」に付随していた「ぞ」が「住む」の専有、つまりは終助詞になるのでしょう。 終助詞「ぞ」は「事こそ」と訳すと係助詞らしくなります。「事」の意味はさまざまです。冒頭の例ですが「そしゃそやぞ」で省略されている最重要単語があります。「ご発言・結論」という言葉ですね。「そやぞ」は倒置法・係り結び「結論ぞ・そうである」の倒置、つまりは倒置の倒置は正置です。「そうである(ご発言で決まりですね)」という意味になりましょう。「行くんやぞ」と言えば省略されているキーワードは「予定・計画」でしょう。「食べるんやぞ」なら「料理・ご馳走」です。 |
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