大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

御馳走さま

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私:食事の挨拶は「いただきます」が一般だと思うが、食事を終えた時に「御馳走さまでした」ではなく「いただきました」と言う地方がある。
君:ネット検索すると出てくるわよね。「いただきました」+「方言」がキーワード。長野と静岡。中部地方の方言、との発信もあるわ。恐らく飛騨地方も広くこの言葉が使われていた可能性があるのね。
私:実は、生まれ育った村・岐阜県旧大野郡久々野町大西村でも「いただきました」を使ったね。学校給食では全員が同語で唱和した。恐らくは岐阜県の多くの小学校でかつては同語での指導がなされたのではないだろうか。ご家庭でも。それでも最近は言わなくなっているのかも知れないね。音韻の変化でもないし、理論的には共通語と言えなくも無いので、この言い回しは実は「気づかない方言」の代表選手の可能性がある。また、このような微妙な言い回しというものは方言学の成書にも記載されていない可能性が高い。手元資料を急ぎ調べたか、実は記載はゼロ、天下の方言大辞典、小学館日本方言大辞典全三巻にすら記載は無い。
君:中学校はどうだったの?
私:ははは、旧大野郡久々野町立久々野中学校か。うーん、思い出せない。三年間、毎日、給食があったのに。大西小学校の時は六年間、全員が勉強の時と変わらぬ机位置で食事を開始の直前と終了時に、給食当番が音頭を取って合掌していた事はよく覚えている。中学校では六人が机を合わせて一つの島を作り、島単位で合掌をしていた事はよく覚えているのだが。
君:高校は。
私:弁当だったので、集団での合掌は無し。各自がてんでに。
君:家では。
私:「合掌、いただきます」「合掌、いただきました」。他所のご家庭でも同じだったと思う。
君:「いなだく」他カ五(他動詞カ行五段)の飛騨方言動詞があるわよね。
私:そうだね、「いただく」からの音韻変化からだろうが、「うやうやしくいただく」という意味で、特に神仏に備えたものを食べる場合などに用いる事が多いね。「仏さまの供物はよーう、いなだいて食べなさい」などという文例。「いただく」の意味は既に無く、いなだくは「合掌する」という意味になる。「きちんと合掌して供物をいなだく」という文例は飛騨方言のセンスにあっていると思う。正式な食事の言葉ともなると
「食前の言葉」われ今、幸に仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この清き食(じき)を受く。つつしんで食(じき)の来由をたずねて、味の濃淡を問わず。その功徳を念じて品の多少をえらばじ。いただきます。
「食後の言葉」われ今、この清き食(じき)を終わりて、心ゆたかに力、身に充つ。願わくは、この心身を捧げて己が業にいそしみ誓って四恩に報い奉らん。いただきました。

君:あなたの食事作法は。
私:無言でこれを唱え、静かに食事をいただく。
君:なるほどね。
私:そして食事中は全神経を舌に集中する。それ以外の事を考えない。
君:食事の会話は。
私:最小限だな。「おいしいね」だけだな。最も大切な心得は米一粒たりとも絶対に残さない事。
君:ほほほ、BGMは聴くのよね。

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