今日は地名の話題です。実は昨日の日曜日、例によって東京へ出張しましたが家内といっしょです。昼過ぎまでにササッと用事を済ませて、さて折角の東京だから御のぼりさんよろしく有名な所を一つくらいは見物しなくっちゃ。という事で竹橋の国立近代美術館を目指しました。安井曽太郎「金蓉」がありますので、ほら中学の美術の教科書にありましたでしょ。家内は全然覚えが無いというので、そりゃあ是非見せなくっちゃ。私も同館を訪れるのは実に二十数年ぶり、結婚する前の事です。
以上が前置きで、東京の地下鉄ネットワークでは数回乗り継がねばならぬので、すぐさま地上に出て皇居方面へのタクシーを拾いました。私が運転手さんに"行き先はほらほら、あの皇居のそばの西洋美術館だったか、いや現代美術館だったか、ほら地下鉄のたけはしのそばの、、"と言っても、運転手さんは、"たけはしの西洋美術館?皇居のそばに??・・・ああ、たけばしの近代美術館の事ですね。"
という事で、私は実は今までずうっと地下鉄駅たけはしだと思い込んでいたわけです。確かに、にじゅうばし・にほんばし・ひとつばし、等々、濁音の固有名詞が多いわけですから、運転手さんは、何故この田舎出のお客はたけはし、と思ったのかなと感じたのかも知れません。
私も数十秒考えていて、すぐに理由がわかりました。私の親戚・知り合いには、高橋、舟橋、大橋、等々、やたらと、〜はし、と呼ぶ人間が多いのです。つまりは飛騨方言の考察ではなく日本語の特徴の考察ですが、地名あるいは実際の橋の名前は、〜ばし、と呼ぶ事が多く(暇に任せて更にネット検索、橋の町・大阪を見たらなんと全てが〜ばし、でした)、苗字は〜はし、と呼ぶのです。また私の親戚に知立八橋(ちりゅうやつはし、唐衣着つつ慣れにし・・)在住の者がいて、やつはし、といえば我が家では知立の親戚を示します。
次いで飛騨方言の考察ですが、飛騨方言は濁音が多い、逆に東京語は私のかってな思い入れで濁音が少ないのだろうと思い込み、竹橋=たけはし、と考えていたのですね。つまりは私は昨日までは自分自身だけの世界で書き言葉・竹橋=たけはし、を使い、昨日はじめて話し言葉としてみたところ、運転手さんは私のミスコンセプトに伴うミスユーズを瞬時にはご理解できなかったという訳です。
ここまでは何となく平凡な議論であまり面白くありませんが、先ほど飛騨・大阪はじめ全国の橋の読み方を検索していておやっと思った事がありました。それは、かぢはし(鍛冶橋・高山市本町)。写真は橋銘ですから正しい読み方である事はいわずもがな、しかし私は実は今までかぢばしと呼んでいました。なかばし、という位だから、かぢばし、だろうと思っていた次第です。おそらくは飛騨の人間でも相当数の方がかぢばし、と呼ぶのではないでしょうか。ネット情報によりますと実は全国に、鍛冶橋・かぢばし、があります。しかしながら全国広しといえどもかぢはし、はたったひとつ、飛騨高山のかぢはし、という事でしゃみしゃっきり。
(ps 2020/03/20)鍛冶橋の道路表記は Kajibashi のヘボン式表記になっていて、複数のネット画像で確認できます。例えばここです。また近くの商店などですが、鍛冶・鍛治、この二つの表記が混在しているようですね。にすいが正しく、さんずいは間違いというのが国語のみかたでしゅうが、方言学は何でも有り・有るがままの言語を観察する学問なので、鍛冶橋界隈に何軒の鍛治の屋号があるかを調べてみるのも面白いですね。道路標示が、連濁である以上、やはり、かじはし、と書いてあるものの、これを、かじばし、と読んでいけなくもないでしょう。
|