大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
まめ(元気) |
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生まれも育ちも飛騨の私:いやあ、孫の世話も疲れる。お互いにもう若くないね。 生まれも育ちも名古屋の妻:夫婦でどうやって子育てしながら共働きして来たのか、不思議よねえ。 私:飛騨の人達が大好きな挨拶言葉が「まめなかな?(お元気ですか?)」だけど、名古屋でも使うかい? 妻:使わないわね。元気の意味で「まめにしてる?」とか言うけど。名古屋なら「やっとかめ」だわね。 私:今、「まめなかな」をキーワードにネット検索した。ざっと数百個くらい。ほぼ百パーセントが岐阜県からの発信だった。飛騨だけじゃない、郡上、関、恵那、使われ方としては小学校教育、行政サービス、施設名、各種サークル、等々、岐阜県では全県下で「まめなかな」という言葉が愛されている事がわかる。県教委の御意向もあるのだろうか。愛知県ゼロ。変わったところでは岡山市の居酒屋一軒。「まめなかな」は岐阜県の専売特許だ。 妻:それじゃおしまい。 私:おいおい、もう少し付き合ってくれ。 妻:だって「まめ」って岐阜県民だけがやたらと愛する共通語でしょ。それに古語辞典にも如何にもありそうじゃない。 私:ははは、その通り。「まめ」は「まめやか」「まめだち」「まめまめし」などの語幹、「ま真」+「め目」の複合語で、意味も現代の「元気」の意味に同じだ。古今、伊勢、源氏、方丈記、などに例がある。ただし、少し変わったところでは「(趣味的・装飾的でなく)実用的」の使われ方もあるが、これは現代には生きていないね。 妻:こまめに調べたのね。 私:ははは、その言葉、わざとかい? 妻:いいえ、普通に言葉が出てきただけど。そう言えば、あなたは「まめ」という言葉を「こまめ」に調べたのよ。若しかして、あなた、「こまめ」もこまめに調べたの? 私:ははは、勿論さ。結論から言おう。「こまめ」は戦後の言葉だ。「まめ」は平安文学の言葉が今に伝わる。 妻:どうして「こまめ」が戦後なの? 私:戦後の辞書で僕が最も長く使っているのが角川国語辞典新版。昭和44年初版だが、昭和47年65版のものだ。名古屋大学に入学した年に大学生協で買ったのさ。それには「こまめ」の記載がある。 妻:当り前じゃない。私達の世代は子供のころから「こまめ」は使っていたわよ。 私:実は最近だが古書・大言海を手に入れた。昭和31年新訂版初版。ここには「こまめ」の記載が無いんだよ。昭和31年と言えば僕は三歳だ。その後に生まれた言葉という事が判明した。 妻:なるほど、古い辞書にはそのような価値があるのね。でもあなた、良かったわね、大学入学時に購入した国語辞典を50年近く愛用し続けていて。 私:言葉の年代測定をしようと思うといろんな時代の辞書が必要になってくる。マニア垂涎の辞典で、室町言葉辞典というのがあるんだよ。上には上があって角川古語大辞典全五巻というのもある。 妻:医学書なら幾らでも買いなさい。角川古語大辞典は止めたほうがいいわよ。 私:ああ、先だって購入した日本方言大辞典全八巻、これに飽きたら購入を検討するよ。つまりは買わないだろう、ご心配なく。 妻:「まじめ」の年代測定もやってみた? 私:ははは、ありました。岩波古語に「まじめ真目・真面」意味は現代語に同じ、例は俳・反故集下(江戸中期)、そして日葡辞書には記載が無いから年代は江戸中期に間違いない。つまりは「まめ」は平安から、「まじめ」は江戸中期から、「こまめ」は昭和四十年ころからの言葉だ。 妻:「まめ」と言う言葉から「まじめ」と「こまめ」が派生したのね。それにしても「こまめ」が昭和の言葉とは驚きだわ。 私:ネットの何処にも無い情報だと思う。あらゆるキーワードで検索したが、語源を記した情報がみつからない。それにしても一番に驚いているのはこの僕だな。 妻:えっ、どうして? 私:だって僕もつい先程まで知らなかったんだ。大言海を読んで気づいた。衝撃的だったね。今日も、というか、机に向かえば必ず方言の神様に会える。方言の神様が「こまめ」が昭和四十年ころ、つまりは僕が中学生の頃か、そんな時代の言葉だった事をお教えくださった。 妻:金銭的価値はないけど、大発見だわよ。あなたの趣味は世の中を明るくするわ。 私:「茶色い」も戦後の言葉だね。日本人は普段よく使う言葉をつい明治時代あたりから使っていた言葉かな、と勘違いしてしまうのだ。 妻:おバカさんね、何を当り前の事を言ってるの。毎年、流行語大賞やってるでしょ。言葉は常に生まれ、常に滅びていく、誰でも知っているわ。文明の進化と言葉の浮沈は正比例するのよ。 私:確かにその通りだ。ただし僕の方言ロマンスの旅は千年以上変わらない日本語を追い求める事なんだ。「まめ」は千年生きてきた。岐阜県では「まめなかな」は未来永劫だろう。 妻:あなたの得意な理論、短呼化はどうしたの。「まめなかな?」は滅びて、未来の飛騨方言は「まめ?」だわね。 私:まじ? 妻:まじ! 私:確かにね。令和の時代に「まめなかな?」は既に「まめけな?」に変化してしまった。 妻:ほら、ごらんなさい。もうすぐ「まめけ?」がやってくるんじゃない? 私:いや、断じてそれはないな。「まめけ?」だと男言葉になってしまう。女房詞を表す終助詞「な」は飛騨方言においては非常に大切で、飛騨の女性が「まめけ?」という事は有り得ないよ。「そやな(そうだわね)」「そかな(あら、そうなのね)」「そえな(ほほほ、そうなのよ)」「そしゃな(それではごきげんよう)」等々。終助詞は「ぞ」が男言葉で「な」が女言葉、飛騨方言は厳格だ。つまりは「まめけな」の本質は極めて女性らしい優しい言い方という事なんだ。 わぎもなる山の神:なるほどね、そうね、じゃなかった、そやな。そのあたりのディープさが貴方が生まれも育ちも飛騨の所以なのよね。育ち生まれが名古屋の私でもなんとなくわかる気がするわ。 |
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