大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

まめくじ・まめくじら

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私:今夜のお話も例によって飛騨方言の死語について。
君:つまりは、ああ困った、話題が無い。
私:と言えなくもない。新年度とか、コロナとか、忙しいと息抜きの飛騨方言ざんまいという訳にもいかないし。早速に本題だが、共通語の「なめくじ」を飛騨方言では「なまくじ」「まめくじ」と言うんだ。チョッピリ訛っているだけで、方言量は2。
君:つまらないお話ね。しかも死語に近いのでは話にならないわ。
私:確かにその通り。次いでだが共通語「かたつむり」を飛騨方言で「まめくじら」と言う。これも死語に近い。
君:でも、こちらのほうは音韻が面白いわね。「豆」+「鯨」が思い浮かべられて、小さなクジラの意味のように響くわね。
私:共通語としては「〜クジラ」が8個ある。6つは動物図鑑にある言葉で鯨の亜種の学名。もうひとつは山鯨。これ、わかるかな。
君:動物ね。山に生息する鯨のような大きな生物。
私:その通り。イノシシ肉の異称だ。季語は冬。そうして最後の一つはどう。
君:ほほほ、「めくじら」よ。
私:そう。「めくじり」、つまりは「目」+「くじる」他ラ四連用形から来た言葉だね。専ら、目くじらを立てる、の慣用句で用いる。だから「まめくじら」を要素に分解すると「まめ」+「くじら」かね。
君:どうしてそんな事が言えるのかしら。カタツムリを鯨に例えるなんて有り得ないわよ。まめくじ」に「ら」がくっ付いてカタツムリになったに違いないわ。
私:その通り。「豆」+「鯨」は日本語でもなんでもない。カタツムリの方言量は200以上で柳田國男「蝸牛考」という名著が方言学のバイブルになっているが、「蝸牛考」の分類では、飛騨方言「マメクジラ」は「なめくじ」の系統に分類されているので、柳田先生にとっては自明の理だったのだろう。それにしても素敵な言語脳で、次から次へと浮かんでくる全国の方言語彙を随筆のようにお書きになった蝸牛考だ。ところで、ここに更に飛騨方言ならではの困った問題がひとつ、生じている。
君:困った問題とは。
私:飛騨方言では元々は「なめくじ」は「まめくじ」て、「かたつむり」は「まめくじら」だったが、いつの時代からか、「なめくじ」の事を「まめくじら」と言うようになった。つまりは遂には飛騨方言「まめくじら」は共通語「なめくじ」「かたつむり」の両方を示す同音異義語になってしまった。
君:ほほほ、それも表層的な解釈、つまりは論理の破綻、あるわけないわ。
私:おいおい、「目くじら」を立てないでくれ。そう言われると「立つ瀬」がない。でも豆鯨もユニークな発想だと思うんだけどね。
君:ほほほ、幾らユニークでも多分、間違い。そうね、解決策があるわ。方言辞典へ迷わず直行、「なめくじ」の意味で「くじら」という方言が無いか探すのよ。若し仮にあったとすれば「まめ」+「くじら」の語源説が成り立つかもしれないわよ。
私:うん、そうだな。・・おい、大発見だ。全国どこを探しても無い。「わらじむし草鞋虫」の意味で「クジラムシ鯨虫」青森・岩手・秋田があるのみ。土吉左衛門「飛騨のことば」にも「くじら」は存在せず。
君:つまりは慎重に考えると、それでも飛騨方言には死語の中の死語・幻の死語「くじら」があったのかもしれない、という意味かしら。
私:なにせ、今夜は黄泉(よみ)の世界のお話だから、空想に任せて言いたい放題だな。
君:ほほほ、釣られたわね。だめよ、お馬鹿さん。それではあなたの信用が台無しよ。まずはキチンと古語辞典を調べてくださいね。このサイトは学問なのでしょ。
私:あっ、はいはい。・・あった。重訂本草綱目啓蒙 48巻に「なめくぢら蛞蝓」の記載がある。弘化4(1847)年。また角川古語大辞典全五巻によれば「なめくぢり」は近世語「なめくじり」に。いずれも「なめくぢ蛞蝓」の異名。つまりはこうだ。中央では「ナメクジ」から「ナメクジラ」の音韻変化があった。そして飛騨には「ナメクジラ」の音韻が伝搬したが「マメクジラ」に変化した。これで妙にスッキリ、今日も方言の神様と握手。やっほー
君:詰めが甘いわね、お馬鹿さん。近世語「なめくじり」が飛騨に伝搬して飛騨では「まめくじら」に音韻変化した可能性だってあるわよ。いずれにせよ「まめくじら」は元々はナメクジの意味だったのが、いつのまにか「かたつむり」の意味でも使われる事になった、という事なのよね。
私:正にその通り。初めにナメクジ(ラ)ありき、という事だったんだ。なんだ、此畜生、平凡すぎる結論じゃないか。・・でも飛騨方言ではカタツムリを「まめくじら」というようになった以前は何と呼んでいたのだろう。これが次なる疑問だな。
君:ほほほ、私の名前はミス・ケメ子♪あなたは鏡を持ってるの♪あなたはいったい何年、方言をやっているの?貴方に代わって結論をお書きするわ。古代の飛騨では「なめくじ」「かたつむり」を区別せず「なめくじ」と言っていたのよ。飛騨方言では「なめくじ」の同音異義語の概念が元々あって、そもそもが「マメクジ」が同音異義語だったという意味じゃないかしら。
私:そうか、つまりは殻の有る無しに関わらず、あの二種類の軟体動物を「なめくじ」と呼んでいたのか。
君:その通りよ。やがて「かたつむり」は「まめくじら」と呼ばれるようになり、それに釣られて「なめくじ」は「まめくじ・まめくじら」の二通りの言い方をするようになったと考えればドンピシャリじゃないの。初めに同音異義語在りき、なのよ。
私:うん。そして、「ら」付加の音韻変化の原動力となったのが中央での近世語「なめくぢら」か。弘化4年か、天保の改革直後で西欧列強が日本近海にウロウロし出した頃だから、そんなに遠くではないね。
君:でも発言はそこまでにしておきなさいね。周圏論からすると少し時代が遅すぎるのでは、などという変な気持ちがもたげてきて。チョッピリ何かがわかったからと言って、あまり軽率な事は書かないほうがいいわよ。ほほほ

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