大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

もち(餅)

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私:今日は正月に食べる「もち」の語彙の話だ。
妻:時節柄とは言えないわよ。如何に飛騨は旧節句とは言え、端午の節句六月五日から二週間も過ぎているでしょ。柏餅の季節じゃないわよ。
私:ああ、そうだね。但し語彙の問題というのは少しばかり時間がかかる。
妻:わかったわ。日本方言大辞典全三巻ね。いくつあるの。
私:「*もち」と名の付くものでざっと数百種類、この中で飛騨方言に由来するものを探すのは容易ではない。見落としもあるだろう。
妻:細かい事はおやめになってキーワードのお話になさったらどう?
私:そうだね。餅を表す飛騨方言には「あっぽ」「(お)かちん」「もち」の三種類がある。「*もち」の類では「はなもち」等が代表語。
妻:あら、端折り(はしょり)すぎよ。
私:そうだね。全国の方言には「あっぽ」の派生語とか、「ぽぽ」の派生語とかが随分、多い。語源は何だと思う?
妻:どうせ、古語辞典なんでしょ。
私:残念ながらそうではない。古語辞典にはパ行で始まる言葉がゼロなんだよ。有史以前にはハ行の子音はP音であり文献が始まるころには既にF音になり、現在ではH音になったらしい。東京帝大国語学初代教授・上田萬年(かずとし)のP音考、例えば「ひかる」は古代には「ぴかる」。ピカッだから光る、パタパタだから旗、ほら、縄文人が日本語を語り始めた心が、和語がどうやって出来たか想像できるね。本に書いてある。また平安中期には語中語尾のハ行音すらワ行音化する、という音韻変化が生じた。ハ行転呼音だ。例えば「いは岩」「こひ恋」「おもふ思」「ゆくへ行」「かほ顔」等。
妻:全部が全部ではないのでしょ。
私:勿論、そうだ。逆の例もある。「もはら専」は後世には促音便となり専ら「もっぱら」と言うようになった。
妻:そういうのを親父ギャグというのよ。「あっぽ」の語源はまさか「あほ」じゃないわよね。珍説・ハ行転呼の逆現象とか。
私:ふふふ、ひっかかったぞ。残念ながらそうではない。「あっぽ」は思うにオノマトペだね。
妻:オノマトペ?何それ?
私:言語学でよく使う、擬音語・擬態語の総称だ。
妻:ああ、わかった。ぷうっ、と膨らむから「あっぽ」なのね。「(お)かちん」は面白い響きの言葉ね。カチンカチンに堅い餅の意味なんでしょ。
私:残念ながらそうではない。
妻:いったい何回その言葉を使うの。古語辞典でもないし、オノマトペでも無い言葉なのね。
私:残念ながらそうではない。実は古語辞典にある。
妻:へえっ、でも聞きなれない言葉だわ。その前に、そもそもどんな餅なの?
私:それはいい質問だ。「おかちん」は婚礼の夜の吸い物「かちんの吸い物」ちっちゃい餅だ。「お餅を入れればかちん蒸し」と書いてある。料理の基礎用語じゃないのか。古語でも「かちん」は餅の意味だ。餅の製造工程のうち「かちいひ搗飯」これが女房詞で「かちん」になったのさ。「搗」は「米をつく」という漢字だよ。
妻:へえ、祝言のお料理が女房詞とは飛騨方言もなかなか雅ね。飛騨方言では漬物を「おくもじさん」なんて言うわね。
私:古い人は言うね。ついでだ、「もち」の語源を知ってるかい。
妻:これは古語辞典で決まりね。「も」+「ち」かしら。
私:残念ながらそうではない。餅の古語は「もちひ」だ。さらにはこれは「もちいひ」から変化した。これがヒントだ。
妻:えっ、ヒント?うーん、理論ね。あっ、わかった。「もち」+「いひ飯」つまりは「いひ飯」を「もち」ってしまえば「もち(ひ)」になるのよ。つまり、「もち」って形容詞の系統ね。
私:ははは、よく気づいたね。では名詞「もち黐」の説明だが漢和辞典のお出ましだ。黍(きび)編には三つの漢字しかないが、そのひとつ。とりもちという漢字で偏旁冠足の形声、旁は張り付く意だ。つまりはモチノキの樹皮をつき砕き水につけて繊維を洗い落とし、そしてこれを更にグツグツと煮る、するとネトッとした液体「モチ黐」が完成。つまり鳥の狩猟時代からの言葉でとても古い言葉だね。米という言葉が出来る以前の言葉だろう。つまりネバネバした米、つまり餅、という意味で「もちいひ」と言ったのだから。
妻:長い餅の歴史ね。ところで語彙にしては今日のお話は数が少なかったけど。
私:そうなんやさ。大西村の我が家では「ヨモギ餅」の事を「くさもち」というのだが、ありとあらゆる辞典、方言資料を何週間もかかって調べたが、どこにも記載が無いんだ。あれ、ごがわく。どいんじゃあ! (業が沸く(腹立たしい)、どういう了見だ!)

妻:だから旧節句から二週間も経ったのね。ご苦労様、もち顔さん。

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