大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

助動詞・まい、の接続動詞

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昨日は、助動詞・まいか、 なんてのが、おうそうだった、そう言えば飛騨方言にはあった、と 思い出していくつか原稿を書いてみました。 直リンを最近は佐七のブログという所に張るように しました。気がつく人は気がついているでしょう。 つまり、新着情報は、いずれ廃止の方向で。

前置きはさておき、この二十四時間ですが、 助動詞・まい、の事ばかり考えていました。 ましじ・まじ、が語源である事は書かずもがな。 終止形動詞に接続するのなら、飛騨方言も、東京語も、 古語も、すべて型は同じと言う事で頭もすっきりする というものですが、 どうしてまたねじれ現象なのでしょうね。

ところが、情けないのが名古屋方言です。 岐阜は名古屋の属国、 従って飛騨は名古屋の属国も同然ですが、 名古屋方言は実は、かこまいか、です。 名古屋は若しかして、関西方言・かこか、の国々の属国なのでは ないでしょうか。

さて古語に由来する限りは、鄙(ひな)には古き言葉残れり、 と言う事で、四段動詞終止形が、まい、に接続する形が 由緒ある日本語と言う事なのでしょうね。 ところが (ついこの間までなにせ鉄道すらなかった 日本を代表する)おおいなる田舎・飛騨方言では 未然形になってしまった結果、 実は鄙(ひな)の代表・飛騨が中央・東京よりも新しい言い方を マスターしてしまった、という ねじれ現象が生じているのではないでしょうか。

以上は実は前置きです。 ところで命題は飛騨方言では、〜まい、の接続が 四段ではなぜ未然形なのか、と言う事。 言い換えましょう、東京は古い言い方、飛騨は新しい言い方で あるのは何故でしょう。 筆者の予想はズバリ、飛騨は打消しの助動詞ない・ぬ、は 西方ぬ、に属するのですが、どういうわけか、 〜まい、を、〜ない、と勘違いして未然形に 接続させてしまったのでしょうねえ。 佐七の頭の中ではこの理屈で 何故、飛騨は東京より新しいのかがドンピシャリと説明がいく。 いたって簡単な結論でした。

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