大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

係助詞とは

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私:まずは読みだが、一般的には「かかりじょし」だが、「けいじょし」でいけなくもない。但し「けい」ではググッと抵抗感が半端じゃなくって、僕はそう呼べないな。
君:ほほほ、そもそもの意味としては係り結びの法則から来ている助詞だから、という事ね。
私:うん。その通り。高校生は「ぞ・なむ・や・か」辺りを試験の山と考える。
君:古典文法の係助詞はもっとあるし、歴代の和歌を片っ端からお調べになって係り結びの法則に反する和歌を列挙なさったかたがいらっしゃるわよ。中村幸弘「和歌構文論考」。
私:だな。既読。いつも思う、世の中というものは、上には上がいる。こういうお方を真の意味で学者さんと言うんだよ。
君:ほほほ、正にそういう事ね。古今の知られた詠み人でも凡ミスはあったのよねぇ。
私:うん。昔の人も皆、和歌では苦労した。つまりは和歌の為にスクールもあれば、先生もいた。凡ミスを繰り返して詠む生徒もいた、という事。何事も、多少の事は大目に見たほうがいい。
君:前置きが長すぎたわよ。
私:うん、では。古典では文の終わりについて文の成立を助け、同時に感動・命令・疑問・反語・希望などの意味を表すという終止用法の係助詞があった。現代口語では疑問・反語などを表す係助詞は消滅し、また更には係助詞の終止用法は消滅した。
君:そのような助詞は現代口語、というか山田文法では終助詞というのね。
私:そう。古典文法の一部の係助詞は口語文法では終助詞となった。
君:つまりは口語文法では係助詞は減少したという事ね。
私:要はそういう事。口語文法では係助詞は文の間に入って強調的指示に特化した助詞となったという事かな。例えば、月「は」衛星だ、千円「も」使った、心配だから「こそ」忠告するのだ、とかね。
君:文語は、月は衛星也、千円もつかへり、案ずるこそ忠告せめ、だわね。
私:そのような一部の助詞群の存在及び文構造における関係を明らかになさったのが山田先生。「は」と「が」の使い分けとか。もうひとつの発見が係助詞が必ず格助詞・副助詞の後に位置するという事。
例えば

これ「だけ副」で「も係」買おう
金「さえ副」あれ「ば係」よい
母「に格」「しか係」話さない
やめる「より格」「ほか係」ない

・・・切りがないけど、山田先生はこれにお気づきになった。
君:うーん、でも子供達に係助詞の概念の理解は難しいわ。
私:という事で学校文法ではこれを副詞でひとくくりとしてしまい、助詞の種類は四つ、格助詞・副助詞・終助詞・接続助詞、とした。こんな事でいいのだろうか。
君:教えるには楽よ。学ぶのも。本当にごめんなさいね、山田先生。

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