大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
よ(女言葉) |
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私:今日は快晴の日曜日、久しぶりに飛騨へソロツーリング。思わぬ収穫を得た。フィールドワークというわけだ。 君:本を読んであれこれ書くより、旅日記のほうがそりゃいいわね。 私:萩原町だったな、隣のレーンの赤い軽自動車の後方に「赤ちゃんがのっとるよ」というステッカー。当サイトが紹介するのはキーワードのみ。ご興味ある方は各自でお願いしたい。 君:ほほほ、では国語学の本題ね。といっても問題と答えが表題に書かれているわよ。ほほほ、おばんギャグ。 私:赤い軽自動車のドライバーが長い黒髪の女性で、ああ・お母さんなんだな、という事はわかったが、「赤ちゃんがのっとるよ」は飛騨方言では明らかにジェンダーに関係する役割語だ。意味、わかるよね。 君:女性のみが使う言葉。男性は使わない。 私:そう。終助詞「よ」にそのような意味がある。「赤ちゃんがのっとる」にはジェンダーが無い。 君:共通語・標準語、つまり国語と何ら変わらないわ。「赤ちゃんが乗っているのよ」と同じ意味。 私:土佐方言「ぜよ」は男言葉だが、「てよ」「のよ」は女性的な言い方だ。接続を考えると、これまた結論がひとつ出来上がる。 君:「てよ」は連用形に接続、「のよ」は終止形に接続。だから「赤ちゃんがのっとるよ」は「赤ちゃんがのっとるのよ」の省略形だったのね。 私:実は・・ 君:実は?? 私:以上の議論は全て間違いだ。「よ」は男も普通に使うよ。ねっ 君:ほほほ、他には「使えよ(命令形)」、「使ったよ(詠嘆)」など、男性も使うわよね。 私:その通り。実は「よ」そのものにジェンダーは無いと考える事も出来るが、ただし飛騨方言「赤ちゃんがのっとるよ」は明らかに女性の言葉。終助詞「よ」が用言終止形に接続するから、という文法では説明できない言語学の法則が実は働いている。 君:ふーむ、言語学の法則よね。現代文の問題なら文脈、脈絡という事になるけれど。 私:答えは「こわいろ声色」だ。「お姉言葉」とも言うね。 君:なるほどね。活字を見て声色を連想するから女房詞に決定という論理になるのね。 私:その通り。言語脳には「男の声色」「女の声色」この二種類の音韻表がある。活字から想起される声色がどちらに合致するかという判断でジェンダーが決まる。大脳は結構、複雑な情報処理をしている。文法のみで解釈するのは誤りだ。脈絡からの解釈も実は間違い。 君:では、まとめをお願いね。 私:たかが「よ」、されど「よ」。「よ」は格助詞・間投助詞・終助詞。万葉集の例を出すまでも無く、そもそもがジェンダーはないが「のよ」「てよ」などで女言葉になるのは近代語。女学生の言葉。夏目に代表される明治文学から使われだした。 君:そうね、そうなのよ、そうだもの、わかるわ。すべて女の声色がないとだめね。ほほほ |
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