大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
くれんさい |
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私:寝る前に数分ほど原稿を書くのが習慣になってしまった。医学的見地からすれば就寝前にPC画面を見るのは決してよくない。夜間モードにしたり、ブルーライトカットなどは必須。ところで、困った事に・・ 君:どういう事? 私:PC画面は見ないほうがいいという以前の問題。ネット検索していて、瞬時に眠気が吹っ飛んでしまった。 君:可笑しな記事を発見した、という意味ね。 私:そう。「おいでくれんさい」という方言の表現が広島辺り、西日本にあるらしい。飛騨でも「おいでんさい」とか「くれんさい」とか言うが、「来てください」という意味の尊敬語。つまりは「おいでくれんさい」は二重敬語だが、これは日本語としてはNG。しかし、そこは方言の有難いところ、いちいち目くじらを立てる必要も無いがねえ。 君:あなたの違和感というのは、飛騨方言には二重敬語はありませんよ、という意味ね。 私:まあ、そんなところだな。なんでもかんでも「〜ませ」を使うと丁寧な表現の感じが出る。だから僕も「〜ませ」は日常的に多用するが、「くれんさいませ」とは言わないね。「おいでんさいませ」にして然り。兎に角、僕は二重敬語に対しては何とも早、違和感を感じざるを得ないんだ。またもう一言、方言としての「くれんさい」は何ら問題は無いが、共通語の場に於いて「くれる」を尊敬表現に用いるのも、これまたいかがなものかと思ってしまいます。 君:根拠を示してね。 私:他下一「くれる」は文語では下二「くる」だが、自分が他人に物を与える事。つまりは元来は、ほらくれてやるぞ、の意味。百歩譲って、自分の為に他人が行い、それによって恩恵・利益を受ける意味に使う。例えば、よく正直に言ってくれたね、とか。でも、これが転じて自分の迷惑になる場合も用いる事がある。例えば、よくも困った事をしてくれたな、とか。つまりは、共通語の尊敬方言で「くれる」の出る幕は無い。方言では実は「くださる」の意味で「くれる」を用いている、というわけだ。 君:共通語では「おいでくださる・おいでくださいませ・おいでくださいました」辺りは問題無いわね。 私:ああ、問題ない。くどいようだが、方言の世界では「くれんさい」は何ら問題ないし、二重敬語すら問題ないだろう。 君:ほほほ、ついてだから二重敬語を連発してごらんなさいませ。 私:望むところだ。中部地方の方言「みえる(いらっしゃる)」を例に。これひとつで尊敬の意味なのだが、「みえてござる」なんてのはどうだろう。 君:では、三重敬語は? 私:みえてござってくれんさい。 君:ええい、ついでに四重敬語も行っちゃえ。 私:みえておいでてござってくれんさい。こりゃあもう超最高級敬語だな。 君:若しかしたら五重敬語もあるわね。 私:勿論だ。みえておいでてござってくれんさいませ。この五重敬語は君に捧げたい。 君:要らないわよ。おバカさん。 |
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