大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おれ俺 |
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私:飛騨方言の敬語の世界へようこそ。 君:ほほほ、わかるわよ。謙譲語のお話ね。 私:その通り。飛騨では女性も「おれ俺」を使う。初めて耳にするお方は思わず目が点だろうね。これが謙譲語である事を認識できないので。 君:共通語の世界では、男性でも「俺」を使うとぞんざいな感じよ。なので「おれ俺」が敬語とは考えにくいわね。ましてや女性ともなると。 私:順に説明しよう。古語の話だ。「おれ俺」の語源は「おのれ己」、これの短呼化だ。代名詞「おのれ己」は近世まで中央では男女共に用いられ謙譲語そのものだった。 君:うーん、ちょっとぶっきらぼうな説明だわよ。代名詞「おのれ己」は三つの意味。★ひとつは反射指示。人称に関わらずそのもの自身の意。「人はおのれをつつましやかにし(徒然)」。★★二つ目は対称。これは相手を見下した言い方。感動詞にも転化するわね。「おのれ盗人め」。★★★三つめが自称の謙譲語。不肖私目の意味。これが今夜の本題よ。 私:失礼しました。飛騨方言は近世における男女兼用の自称の謙譲語が現代に生きている、という事だね。年齢にも関係ない。女児が使ってもいいし、娘盛りが使ってもいい。例えば左七が「花子、おりと結婚してくれ」、すると花子は「あーれ・こーわいさ。おりみたいなおぞくたい女でもえんかいな?おりもずうっと左七さんが好きやったんやさ。そしゃ。」めでたし。 君:同等の人間関係に対して男女とも用いる事はわかったけれど、目下に対してはどうかしら。例えば母が子に。 私:いやいや、男女に関係なく、上下関係に関係なく用いられる。従って女性が「おり俺」を用いるのは誰に対しても謙譲の意味。それ以上でもそれ以下でもない。ところで飛騨方言では反射指示の意味も、対称の意味も無い。あるのは自称の謙譲語の意味だけ。 君:しかも老若男女、身分の上下に関係なく、乙女にすら使われる謙譲語「おり俺」というわけなのよね。 私:江戸時代まではごく普通にそのような言葉遣いだったんだけどね。歌舞伎にも出てくるね。 君:あーれ、そうやったがいな。おりゃ知らなんださ。 私:全国的にはどの地方に残る方言なんだろう。おりゃ大変に興味があるんやさ。 君:おりも知らんし。ほほほ 私:「おのれ己」の語源は「おの己」。「おの己」には反射指示の意味しかない。自分自身という意味。普通は助詞「が」を伴うね。「おのが身」つまり自分の体。「おのがじし」という副詞もある。「各人が」の意味。他には、おのがさへづり、おのがちりぢり、おのがでに、おのがどち、おのがひきひき、おのがまま、おのがよよ、等々。華麗なる古語の世界。 君:センチメンタル左七様へ、おのがよよ、つまりは貴方と私。ゲシュタルトの祈り。お大事にね。ところで対称「おのれ己」は万葉集にあるわね。自称「おのれ己」は宇治拾遺(鎌倉前期)あたりからね。つまり罵り用法は上代から。謙譲語の意味はその後で、近世まで。 私:だから謙譲語「おり」がいつ飛騨に伝わったのかはっきりしないんだよね。中世から近世にかけて。おりにはそれ以上の事はわからん。 君:おりも知らんのやさ。ほほほ |
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