大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おとうさん・おかあさん |
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私:国語学の下位分類・方言学にも、また更にテーマがあってそのひとつが敬語。 君:父母の呼び名だから尊敬語という事ね。 私:令和の時代に既に伝統的飛騨方言は滅亡している。今夜も死語の話でいこう。 君:年配の人々ではまだまだ飛騨方言は健在だわよ。 私:早速だが、おとん・おかん、これも尊敬語だよね。短呼化という事だな。飛騨方言では、つぁま・かかま、あたりだろうね。 君:「おとっつぁま・かかさま」の短呼化というわけね。身内敬語、つまりは子供が他人に自分の親について言及する場合にも用いられるかしら。 私:各地の方言全般に言える事だが飛騨方言でも身内敬語はおおいに有りだね。「父が・母が」と言ってしまうと子供にとっては背伸びした言い方という感じになると思う。 君:要は接尾語「さま様」は飛騨方言では制限なく「ま」になっちゃうのかしら。 私:「つぁま・かかま」からはそのように連想可能だが、実際は違うと思う。飛騨方言には「ま」と「さ」がある。共に「さま様」から来ている。固有名詞が女性か男性かで「ま・さ」の使い分けがある。「花子ま・太郎さ」。職業名、これは圧倒的に男性が多いから「さ」、例えば「郵便屋さ・酒屋さ・こうやさ(紺屋)」。ただし賄い婦は女性の専業だが「かしきさ」と言い、「かしきま」とは言わないね。それでも近世・近代に木こり集団が山中で集団生活をした。山男の世界。つまりは「かしきさ」は元は男性の職業だった。 君:でも民謡・飛騨やんさには「ばばさ、出て観よ」の歌詞があるわよ。 私:確かにね。「じじさ・ばばさ」と言うが「じじま・ばばま」とは言わないね。「ばばさ」には女の色気は無いね。罵り語的。切りがない、「ちんまが池」のお話で終わりにしよう。 君:どこ? 私:北アルプスのふところ、高根村の日和田高原にある。「杣が池・ちんまが池」の伝説として有名。「ちん」は女性の名前。つまりは「おちんさん」が飛騨方言では「ちんま」だ。 君:一行で解説してね。 私:うん。ちん、は実は「ちんまが池」の主たる大蛇の娘、木こり小三郎に恋してしまい人に化け、彼と結婚する。新妻ちんは家にじっとしておられず、更に岩魚に化け小川にあった彼の弁当箱に忍び込む。小三郎はそうとは知らず食べてしまう。途端に小三郎は大蛇に変身、周囲の水を飲み干し新しい池「杣が池」を作る。するとあら不思議「ちんまが池」は枯れてしまい湿原になったとさ。しゃみしゃっきり 君:日和田高原に水をたたえる「杣が池」と湿原の「ちんまが池」が今も並んでいるというわけね。 私:つまりは「ちんま(ちん様)」と「小三郎さ(小三郎様)」の悲恋の物語。先ほどは「ちんまが池」の名前の由来がわからない、という旅行者のネット記事を発見したので、今夜はこれを書いた。 君:ほほほ、「ちん」の由来も調べたのでしょ。 私:うん。漢語の「ちん鴆」からだと思う。中国南方の山中に住むと伝えられる毒鳥。羽に毒があり酒に浸して毒殺、というような中国故事が数多くある。「ちんまが池」伝説は「男性の皆様へ、女性は思い込んだら命がけ、男より怖いですよ」という意味が込められていると思う。「ちん様」といえば阿部定事件を思い浮かべる人も多いだろう。 君:馬鹿な発言を。その一言が命取り、全世界の女性を敵に回してしまったわよ。ちんまの祟りね。ほほほ |
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