大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 近隣の方言

【ご当地ゴジラの独り言】岐阜美濃方言

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話してなんぼの方言の世界ですから、まずは動画をどうぞ。

方言コンテンツとしての作品のクオリティの高さに、私は思わず時間を忘れてしまいました。私が当サイトを始めたのは2005年からで、当時は方言サイトとは文字文化の世界でした。WAV 等々の音声データをアップするサイトは当時からありましたが、僅か数秒の会話例がせいぜいでした、ユーチューブの設立は 2005年2月14日 ですが、当初の投稿規定は、やはり動画ひとつあたり数十秒、というような世界だったかと思います。今は映画一本丸々の時代ですから昔日の感です。

いきなり結論ですが、当動画は岐阜美濃方言とのご紹介ですが、実は語法のほとんど、つまりは方言語彙、アクセント、動詞・助動詞の活用、つまりは全て、が飛騨方言とほぼ同じです。当然ながら・・だったら美濃方言と飛騨方言には差が無く、要は両者を合わせて岐阜県方言なのですか・・というお話になりそうですが、実は決してそうではありません。

私としてはたった一点だけお伝えしたい事があるのです。この動画の内容で、文末詞「〜なも」は飛騨方言には存在しません。この一点だけで、飛騨方言は美濃方言とは異なる方言だ、と私が結論付けるのですから、この差は東条操の方言区画論上、とても重要です。飛騨は広いので、岐阜市、あるいは美濃地方に一番近いのが下呂市あたり、あるいは郡上に一番近いのが高山市清見町あたり、という事になるのですが、飛騨のどの地域においても文末詞「〜なも」は決して使わないと思います。

さて、私が当サイトで飛騨方言と思っている方言は私が生まれ育ったところ、つまりは飛騨高山市の方言です。ただし飛騨の歴史を紐解けば、律令時代には飛騨中の各村から労働使役として都へ駆り出された飛騨工の数は延べ数万人です。平たく言えば律令時代に飛騨の男はほぼ全員が都と飛騨の短期出張を繰り返していたのです。しかも彼らは都ではコミュニティ生活をしていました。奈良県橿原市に飛騨町という町名があるのはその名残です。更に時代は過ぎて江戸時代は飛騨国(飛州)の中心・高山に陣屋がおかれ、飛騨全体が幕府直轄領、飛騨を揺るがす大事件・大原騒動では飛騨中の農民全員が一ノ宮町・水無神社に集合したというようなお国柄で、戦前は婚姻圏も高山を中心に飛騨全体が親戚同士に近いというお国柄で、飛騨の中での方言差は皆無に近いと言ってもよいでしょう。

たかが文末詞、されど文末詞ですね。「なも」という言葉ひとつで、断じて飛騨ではなく岐阜市か名古屋市の何れかの方言、という事がわかるのです。

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