金沢へ出張しました。
飛騨方言の取材のつもりもあって普段は鉄道ですが車にしました。
東海北陸自動車道の美濃加茂ICで高速道路に入って
郡上を越えて荘川ICで降ります。庄川に沿って一般道をくだり、
白川村に着き、再び東海北陸自動車道入り、砺波平野へ抜け、
金沢を目指したのです。
日本有数の方言境界線である白山・養老山脈線の旅です。
四十年も前、中学校の秋の遠足で御母衣ダムを訪れた、
その時以来でしょうか、白川郷は辺鄙な場所ゆえ、方言境界線も
走っていて不思議は無いのですが、今日は
そんなお話を。
せっかくの高速道路ですから岐阜から富山まで貫通していれば
よいのに残念ながら岐阜からは荘川まで、一旦は一般道を走り、
再び白川村から砺波平野への高速道路です。
まるで新幹線で新大阪から新神戸へ行くのと同じです。
トンネルと庄川にかかる橋の連続で、早い話が白山をくりぬいて
作った高速道路といってもよいでしょう。
橋を走る時にチラッと見えるのはV字谷のみ、
とても人の住める場所ではありません。
なるほど、これならば日本有数の方言境界線と
なり得るわけです。
日本の方言を知らない人にとってはトンネルだらけの
つまらない旅にならない事を佐七は祈ります。
私は終始、なるほどそうか、実感できるぞ、やはりなあ、
やっぱなあそうやったんやさあ、と感激しっぱなしでした。
大阪大学の文学部教授・真田真治先生はこんな所でお育ちになったのか。
先生が方言の研究をなさるのも、阪大の業績に白川郷の方言研究
がある事も全て納得できます。
でも若しかして方言はつまらない方こそ
佐七のおしゃべりをあと少しだけ聞いてください。
確かに高速道路のドライブは単調でした。
ですが、私も白川村の一般道は方言抜きで興奮し続けました。
紅葉は真っ盛り、屏風のようなV字谷は燃えていました。
御母衣ダムは東洋一の大きさを見せ、道は狭く車のすれ違いは
困難であり、湖面は死を意味し、
わずかな平地に白樺林が誇り、遠く見やると白山は真っ白に
雪化粧して神々しくも人を寄せ付けぬ魔の山であり、
また突然に見えた合掌村。
私は四十年前の記憶がすべてよみがえりました。
そして佐七は一人つぶやいた。
ここは東洋のスイスだった!
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