大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の言霊 |
幸せになるたった一つの習慣|しあわせ心理学 |
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さきほどですが、言霊(ことだま)の重要性を説明する動画を発見しました。その重要性を改めてお書きする事もないのですが、実は、この動画を拝聴していて、ギア方言(岐阜・愛知で使用される地方の方言)の代表選手、敬語補助動詞(or 自ラ下一)・「みえる」、が一回使われている事に気が付きました。 動画の著作権者さまはご自身のウエブサイト情報も発信しておられまして、https://panda-ondo.org/profile/ の通りですが、ご出身は愛知県でした。つまりはちょっとした言葉遣いで出身地が特定できてしまうという事の実例です。このような記事が書けて、いやあ私自身、本日はとても幸せな気分です。 私にとってしあわせ心理学、つまりは幸せになるたった一つの習慣というのは、常に方言学のアンテナを張っていて、こうやってあなたに記事をお届けする事です。私はちょっと変わった国語学バカというか、方言学バカ、言霊信奉者なのです。心理カウンセラー・ラッキー様にはこの場を借りて厚くお礼申し上げます。 蛇足ですが、「みえる」でどの程度、岐阜・愛知出身者が判定できるのか、これを現在、社会問題となっているコロナウイルスのPCR検査と比較してみましょう。特異度(specificity)、つまり陽性ならば病気と判定できるかという指標、と感度(sensitivity)、つまりは陰性ならば病気ではないと判定できるかという指標、この二つです。「みえる」もコロナウイルスのPCR検査も特異度は百パーセントです。つまりは「みえる」を話せば間違いなく岐阜・愛知出身者ですし、PCR検査陽性ならば間違いなくコロナ感染です。 ただし逆は必ずしも真ならず、「みえる」もPCR検査も感度が低いのです。つまりは「みえる」を話さないからと言って岐阜・愛知出身者でないと言い切る事はできません。同様にPCR検査陰性だからといって感染者でないと言い切る事も出来ません。prevalence(有病率)が高くて pre-test likelihood of disease のグループ(コロナ感染が疑われる集団)にPCR検査をしないと検査の意味がありません。一部マスコミですが当初にPCR検査陰性なのに二回目の検査で陽性と判定され医療不信の患者様の主張、検査は当てにならないという間違った主張を報道なさったり、一部の政治家・政党あるいは評論家が日本はPCR検査数が少なすぎる・もっと増やせ、という、これまた間違った主張をなさってこれをマスコミが取り上げたり、という事で医学・科学・統計学の基礎を無視するご意見がこの数日ですが、多いように思います。また、国はどうしてパチンコ店に自粛を要請していらっしゃるのでしょうか。そのような集団は有病率が高くて然も不顕性感染者が多いのだろう、と疑っていらっしゃるからですね。 話を方言学に戻しましょう。「みえる」を使う集団は、出身が愛知・岐阜に限るのは当然として、常日頃の言葉遣いが丁寧、教養がおありなのも当然として、ただし、初等教育や中等教育においてギア方言について教わらず、また高等教育に於いても国語学の下位分類たる方言学を学ぶ機会のなかった人達です。 If you are interested in this, please listen carefully to all the people around you. They will surely tell you the diagnosis. It's fun to know this and will make you very happy. さらに深堀りした議論が可能です。若し現代に立派に生きているギア方言「みえる」が戦前から使われていたとすれば・・戦前の初等教育では「方言札」政策、つまりは踏み絵教育・小説「緋文字」を地で行く教育の時代があったのですが、それを生き延びたギア方言「みえる」ですから、コロナのようになかなかしぶとい方言という事ですね。というより、演繹法的には肝心の尋常小学校の先生がよりによって「みえる」を使いながら、児童に方言札の罰を与えていたと結論づけられます。つまりは、ふふっ、フランス人が大好きなエスプリの世界だったのです。 |
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