久しぶりの随筆ですが、今年の春になってから
このサイトに記事を書くのが日課になり、何故にまた佐七はそんな事を
思い立ったのか、不思議に思われる方もありましょう。
幾つが理由がありますが、以下ご参考までに。
なるほどそうか、と思われる点があればあなたも是非、お国自慢の方言サイトを
お初めになってはいかがでしょう。
ひとつには、自分自身がど田舎の出身で一皮むけば飛騨方言丸出しの人間で
ある事を、友人・知人、はてさて仕事上のお付き合いの方に突然に暴露
しますと、つまり当サイトの存在をお教えしますと、これが結構うけて。
つまりは私は普段は共通語しか話さず、かなり気取って生活・仕事をしています。
気の置けない方には、この際は私の実は飛騨人間という中身を知っていただいて
もっと仲良しになりたいというわけです。
このサイトの記事の多くが、私が電話で両親と話す時に、そうだこんな飛騨方言があった!
と思わずつぶやいてしまった内容です。両親は既に年老いており、いずれは
当サイトは私が再度読み返し親とのかつての会話を懐かしく思う場となるでしょう。
そうです、皆様は記事を読み、私はその行間を読むのです。
もっとも両親はインターネット環境になく、この存在をつぶさには知りません。
いくつかの記事に祖父母が登場しますが、もとより会話を記憶しているわけでは
ありません。がしかし心の中で対峙しますと、口調やらなんやら蘇ってくるのです。
ほら、ドラエモンのストーリーでのびたが死んだおばあちゃんと会話する話、
まさにあれです。懐かしいからつい記事に書きたくなってしまう、人間ですから
当たり前の行動ですね。
あなただっておじいちゃんやおばあちゃんの事を思い出すと懐かしくて
いてもたってもいられなくなりませんか。
またひとつにはさりげなく、竹馬の友の名前を使っています。つまりは突然に気づかれるかも
知れない。そうしたらきっと私に電話をくれるでしょう。
あるいは既に知っている友人も若干いますので、きっとケラケラ笑いながら
読んでくれている事でしょう。
さて私には兄弟がいますが実は飛騨に在住する国語の教員です。
がしかし、彼は当サイトに一切寄稿していません。
ただしレビューはしてくれます。
彼曰く、キチンと日本語を教える事が先、方言教育などその後の事で
今の学校教育にそんな余裕はありません、と。
私は滅び行く方言文化をいとおしく思うセンチメンタリスト、彼は
現場のプラグマチストですが、お互いによき理解者なので、
当サイトは彼に対する伝言板になっています。
ところで娘がいますが、生まれも育ちも飛騨ではありません。
家内も名古屋に生まれ育った人間です。
従って我が家の公用語は共通語です。
私は娘に飛騨方言の方言教育を一切、していません。
だってそんな事をしたら彼女の故郷を奪う事になるじゃありませんか。
彼女にとって飛騨はあくまでも父の故郷、異国です。
でももし私がいつか死んだら、そうこのサイトを読んで少しは私を
懐かしがってくれるかもと思うと、ついキーボードに向かってしまうのです。
おまけに見ず知らずの方からメールをいただきます。
すべてこのサイトがご縁の方ばかりです。
これがまあ方言好きの人が多くて私の比じゃない、
私・佐七が記事の更新をやめてしまうと、あいつ(佐七)は死んでしまったのかと
思われてしまう。。とんでもない、ちゃんと生きています。
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