大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 大西村

大西村の空撮と大西林道

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先ほどたまたま岐阜県高山市久々野町大字大西(旧大野郡久々野町大西)の空撮像を発見しました。私は昭和28年にこの村で生まれて、高校を卒業するまでこの村で過ごしたのです。動画は不動産屋さんのどなたかが売りに出た空き家の紹介の為にお作りになって2017/06/11にアップなさったようです。三年前という事になり、まだ売れていないという事ですね。家の雰囲気が似ているので、えっ・まさか我が家が知らぬ間に売りに出されている??!!と思ってしまいました。この売り物件の場所はすぐにわかりました。大西村は、上(かみ)・中(なか)・洞(ほら)・下(しも)の四つのブロックに分かれていて、このお家は上組に属します。S家ですね。我が家は中組です。村全体も空撮されていますが、2:00 あたりは鎮守の森と熊野神社、旧大西小学校(既に廃校)グラウンドなどが確認できます。この村で話されているのが飛騨方言、私にとって魂の言語と言ってもよいでしょう。

小学校時代は本当に良かったのでした。学校は家から数十メートルでしたから。そして大西村はひと山超えれば高山市街、つまりは我が家の裏山は高山盆地の南縁なのですが、ところが我が家から高山市内にある斐太高校へ通うのにバスで西側に大迂回して片道たっぷり一時間かかったのでした。なんで俺はシティーボーイじゃないんだよ!高校時代の私は村に生まれた事を恨み続けたのでした。それでも通学時間は百歩譲りましょう。村育ちの最大の精神的トラウマは、高山市街と違ってFM電波が届かないしテレビの民放も幾つかは映らない事、つまりは高校の級友とは音楽の話についていけず、テレビの話題にもついていけなかった事なのでした。晴れて大学生になって名古屋で初めてFM音楽を聴いてビックリした日が昨日のように思い出されます。AMしか聞けない環境で生まれ育った私は、ラジオというものはそもそもが原理的にガリガリという雑音が入る仕組みなのだろう、と信じ込んでいたのでした。

今日はもうひとつの動画を発見して二度びっくりでした。オフ車のオートバイ野郎さんが山道をビュンビュン走っていらっしゃいますが、我が家が所有する山林が映っていますし、2:16 辺りには先祖代々の墓までキチンと映っているのには妙に感激してしまいました。

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