大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

大西峠の話

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地勢によって生活圏が異なり、がしかし峠によって隣の生活圏と結ばれ、方言に差ができる等々、 えい、つまらない、いったい何を私は当たり前の事を話し始めたのでしょう。 具体的な事実を発信しないとネット情報の価値がありません。 飛騨の峠について 建設省中部地方建設局高山国道工事事務所様がサイト運営しておみえでした。大変に立派な内容でした。 飛騨の峠を網羅して詳述しておられ、大西峠についても書かれておりますが、私は更に同峠についてより詳細に最新情報を発信します。

現在は大西から高山へ行くのに、手段が車ならば宮峠か美女峠越えの二つの選択枝、 前者が距離も半分ですので渋滞情報がなければ、迷わず宮峠越えです。 JRならば宮峠越えが必然的な手段となります。

今でこそ大西から高山への交通手段は車、あるいはJRという事になりますが、 明治時代までは高山に行くには皆、歩いて行ったわけです。 徒歩ルートは上記の宮峠越え、美女峠越えに加え大西峠越えが入り、三者択一になりますが、 必然的に最短距離コースの選択枝で大西峠越えとなります。

がしかしこの大西峠越えですが、健脚でも片道二時間以上かかります。 実はけもの道と紛う、人一人がやっと通れる険しい踏み分け道なのです。 宮峠越え、美女峠越えはいずれも立派な街道ですが、共に大迂回路ゆえ、徒歩では片道半日(以上の)仕事になってしまいます。

実は私の父は旧制中学(=高校生)の時、この大西峠越えが通学路でした。 ところが冬は雪のため通学が困難で、高山で下宿生活をしたと聞いています。 私も大西部落から峠まで片道一時間をなんどか歩いてみた事はありますが、若い日の父の健脚ぶりには感心させられます。

何も知らない方がフィールドワークでもし大西峠を歩かれ、ここは方言境界線ではないかと直感されたら、 親父はきっというでしょう、
"そりゃあ大変に立派な説や。そやけど、(目つぶっても歩けるで)ちょっとはずれとる考えのような気もするんやけど。"
そして、もうひとつの大変な話題ですが、実は2004年に高山と大西を結ぶ全長七キロの大トンネルが完成しました。 大西は何と高山へ自転車で十五分程度の地区になってしまい、 トンネル内はナトリウムランプが煌々(こうこう)と灯り、高校に通学できるようになりました。
"長生きゃしてみるもんじゃ"
とつぶやく父。 勿論、数十戸の戸数の大西村民のために国が大トンネルを完成させてくれたわけでなく、 名古屋方面からの車が高山を迂回し、直接に乗鞍方面にいけるようになったのです。 めでたし、めでたしという事で 今日の話はしゃみしゃっきり。

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