大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おりょっ?(あれっ?) |
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私:ここは人口にしてたかだか十万ちょい、岐阜県の飛騨地方で話される飛騨方言、しかもその大半が既に死語という現況だが、それを実に真面目に考えようというイグ・ノーベルサイトだ。 君:イグ・ノーベル賞にかけて Ignoble Site ね。 私:その通り。ラテン語 ignobilis つまり in-( not) nobilis (old latin gnobilis known), i.e., not known が転じて、素性の知れぬ・不名誉な、の意味だ。 君:英語のうんちくはいいから、「あれっ?」は飛騨方言で「おりょっ?」なのよね。聞いた事もないし、使った事もないけど。 私:ふふふ、僕はよく使う。自然と独り言で出て来る言葉だ。出身の村・岐阜県高山市久々野町大西村では、老若男女が使う。故里を離れ岐阜県の南端で開業しているが、郷里・飛騨は宮川村出身の患者様が使うのもお聞きする。かつて飛騨地方のどこでも使われていた感嘆詞だろう。 君:各種の飛騨方言資料にも記載があるのね。 私:勿論だ。昭和30年代の高山市の方言語彙一万を記載した土田吉左衛門著「飛騨のことば」をはじめ、大抵の資料に記載がある。 君:それは了解できたけれど、だからといって今日はこの簡単な感嘆詞の何についてお話しなさりたいのかしら? 私:ははは、このイグ・ノーベルサイトの目的のひとつは全ての飛騨方言語彙の語源探求。だから、今日は「おりょ?」の語源について詳説したい。 君:あら、いやだ。若しかして、何週間もコツコツと調べていらしたのかしら?たしか二日ほど前にお書きになったわよね・・「意地でも毎日更新、つまり方言千一夜物語をなんとかやってきたが、アップした瞬間に、これでネタ切れにつき明日も面白いネタが思い浮かぶか不安に感ずる夜の連続」とか。 私:その通り。でも、正真正銘、ネタのストックは無い。全ては随筆。つまり即興。今日も何かオノマトペで原稿が書けないかと思い、パソコンに電源投入、「おりょ?」がある事を思い出し、語源について考え始めて約三分でひらめいた。 君:つまりは単なる思い付きね。要は珍説。 私:まあ何とでも言ってくれ。ところで早速に質問だが、「あれっ?」の語源って知ってるかい? 君:やめてよ。「あれっ?」はただ単に偶然に発する感嘆詞だから、語源は無いし、たまたま「あれっ?」って言っているだけよ。 私:僕も実はつい先程までそう思っていた。どうせ「あれっ?」の語源なんてないだろうと、国語辞典、語源辞典、方言辞典をざあっと十数冊調べた。これに約三分かかったんだ。 君:ほほほ、それでどこかに語源が記載してあったの? 私:いや、残念ながら、と言うか案の定、どこにも記載は無かった。ただ単に「疑問に思う時に発することば」と書かれているだけだった。 君:ところが、自分はそんな事で語源探しを諦めるような人間ではないと。半沢直樹様。 私:そう、何としても帝国航空を救え。ただし、たったひとつの手がかりがあった。古語辞典だ。「あれ我・吾」(人称代名詞) 自称。私。われ。 君:なんとか「あれ我・吾」を突破口にして語源にたどり着けないかと思いめぐらしたのね。 私:というか。瞬時にわかったんだよ。「あれっ?」の語源って多分「あれ我・吾」そのものだよ。 君:「自分ですか?」という意味の感嘆詞ではないかという事ね。 私:その通り。古語辞典の続きだが「あれ我・吾」を用いた常套句としては「あれかにもあらず(自分か他人か区別がつかない)」「あれかひとか(自分が自分であるような気がしないさま)」「あれにもあらず(我を忘れている、無我夢中でぼんやりする)」。これ以上の説明は必要ないだろう。 君:ほほほ、「あれかにもあらんや?」「あれかひとか?」「あれにもあらんや?」、これらの文章の究極の短呼化が「あれ?」ではないかと考えたのよね。 私:その通り。更には現代に至って「あれっ?」という言葉、つまりは促音便化した言い方が一般化するが、お上品な京言葉では「あれ?」と言うんじゃないかな。・・あれ松虫が鳴いている♪ 君:考えた事もなかったけれど、単なる思い付きね。説を補強する資料が要るわよ。でないと、どなた様もあなたを信じないわ。それにどの語源辞典にも「あれっ?」が書かれていないのでしょ。 私:どの辞典にも書かれていないから「あれ我・吾」説は間違いと考えるのは短絡的だな。科学史にも興味があるが、奇抜な学説は当初は受け入れられにくいものだ。だから、僕は全国民の皆様にバカにされようと、なんとも思わない。 君:いいから。補強する資料も見つかったの?確たる証拠が無いと政治家を追い詰められないわよ、半沢直樹様。 私:ははは、飛騨方言では第一人称代名詞は「おり」なんだ。「おれ」の音韻変化だが、その語源は「おのれ」、つまりは謙譲語。従って飛騨では女性も謙遜の意味で「おり」を用いる。だから飛騨では「あれっ」じゃなくて「おりょっ」と言うんだよ。・・おりょ松虫が鳴いとるさ♪飛騨方言バージョンだ。 君:ほほほ、なるほど。それどころか女性も「おりょっ」を用いる謎すら同時に解けたわね。一理は有るわね。 私:そこで小学館日本方言大辞典全三巻の登場だ。 君:語数が十万。全国の方言ね。 私:驚きや疑問の感嘆詞「おりょ」が話される地方は飛騨以外に富山・石川・兵庫・広島・徳島・福岡・島根・三重・和歌山・大分、ほぼ全国。これがなんとすべて第一人称代名詞に「俺」を用いる地方。ピタリと一致する。 君:なるほど決定的証拠をつかんだわね。ついでだから音韻の変化はどう? 私:おりょ・おりょー・おりょりょ・おーれー・おーれ・おりゃー・おれっ・おろー、ざっとこんなところだ。 君:全て「おれ俺」から派生したには違いなさそうね。「おりょりょ」なんて正に「あれれ」と音韻対応しているじゃないの。完璧だわ。ほほほ 私:従って語源辞典には「あれっ?=自分?」と記載すべき。やったぞ!今日は方言の神様と握手どころか、ハグが出来た。語源を探るには全国各地の方言の研究が着実。多くの方言語彙を集めて日本語の語源を探る事は多くの生命種を記載し、生命の系統樹を作成する仕事に酷似している。 君:よくやったわね。人は知らない言葉「おりょ」についてはそこまで探求出来ないわ。でもひとつわかると後は簡単。飛騨方言の「あれこーわいさ(あらあら恐縮です)」は実は平安の言い方「あれ吾こはし強(私(の方こそ)恐縮します)」だったのね。女性の俺は近世語だから「おりょ・こーわいさ」でも飛騨方言のセンスに合っていて然も江戸時代なのよねぇ。「自分、なにしてんねん」この場合の自分は一般的には「あなた」の意味なのよね。但し自分が吾の意味ならば「バカバカ、俺」。貴方が気づいた事は「第一人称と感嘆詞の両品詞間ですら境界が曖昧な事がある」という事ね。うーん、興味は尽きないわね。ほほほ まとめ たかがひとつの単語、されどひとつの単語。つまらない単語などひとつもありません。「おりょ」ひとつにしても、一千年以上の日本語の歴史が見えてくるのです。「世の中に雑草という名の植物は無い」植物学者・牧野富太郎先生のお言葉です。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草「つまらない言葉」として決め付けてしまうのはいけないのです。 |
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