大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
しゃんと(=ちゃんと) |
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私:きちんとするという意味で、ちゃんとする、などと言うが、文献的には柳多留・浮世床など、つまりは江戸文学に出てくるからこれは近世語のオノマトペだ。 君:オノマトペというか、擬態語ね。擬音語ではないわよ。 私:文法的には副詞句で決まり。語源的には、ちょうど丁度、とする書が多いが、実際のところは不明。個人的には如何なものかと思う。理由はひとつ、丁度は体言で、ちゃんと、は副詞句だから。ちゃんと(しゃんと)は古語辞典や方言辞典を見ても意味は多岐に渡るし、全国各地の方言になっている。 君:ち ->し、の音韻変化だけれど、何と表現するのかしら。 私:音声学的な問題だな。(ち)硬口蓋の破裂音(破擦音)か(し)歯茎摩擦音、の違い、つまりは紙一重、ほとんど同じ音といってもいいね。ち ->し、に文法的な意味はなく、方言学的には、なまり訛り、と表現する。 君:飛騨方言「しゃんと」は共通語と同じ意味で、きちんと・きっちりと、と言う意味よね。 私:その通り。今回、テーマに上げたいのは最近にネットで見た、こしゃらしゃんと、という言葉。これは飛騨からの発信のみ。同名の飲食店名。古い情報としてはダイニングバーの店名だった。地元では知らぬ人とてない、こしゃらしゃんと、という名前のようだが、閉店となり、その後は名前は新店舗に引き継がれて健在という事らしい。僕自身、高山を離れて半世紀なので、こしゃらしゃんと、が伝統的飛騨方言ではない事くらいはわかるが、古いネット情報として、こしゃらしゃんと、は、こしゃら「体裁・姿・恰好」+しゃんと「ちゃんと」の複合語たる飛騨方言との記事があった。 君:要領を得ないわね。完結に結論を言ってね。 私:今、手元の全ての方言資料にあたった。全国のどこにも、こしゃら「体裁・姿・恰好」という方言は無い。つまり厳密な意味で、こしゃら、は飛騨方言ではない。 君:つまりは、こしゃら「体裁・姿・恰好」は造語、飛騨の若者言葉、流行語であると。 私:いや、僕が言いたいのはたった一言、こしゃら、は昭和の言葉ではないという事だ。「こしゃら」はおそらく平成の時代に高山市に生まれた言葉なのだろう。但し、数十年の時が流れ、高山市では知らない人がいないくらいによく知られるようになった言葉、こしゃらしゃんと、は新飛騨方言と名付ける事ができる。その一方、「しゃんと」は勿論、飛騨はじめ全国各地の戦前からある伝統的方言語彙です。 君:従って、私たちのように昭和の古い世代の人間で飛騨を離れて久しい人間には聞き慣れない言葉という事になるのよね。 私:うん。それに僕の日本語文法の感覚としては、体言に副詞句「しゃんと」が下接する場合は目的格の格助詞「を」がないと意味が不明なんだけれどね。つまりは身なりを正すという意味では、日本語の感覚では、こしゃらをしゃんとする、と言うような気がするのだけれど。勿論、格助詞を省く事もできる。例えば「こりゃ、左七、だっしゃもないしこして(=みっともない恰好をして)。はおっとるもの、しゃんとせよ(羽織っているものをきちんとしなさい)。」。 君:つまりは「こしゃら、しゃんと(身なり、キチンと)」の表記であって欲しいという意味ね。 私:その通り。昭和の僕にはね。でも飛騨の若者はは飛騨方言として「こしゃらしゃんと」を6モーラの不可分名詞としてお使いであると推察できる。 君:左七君は古い飛騨方言、死語ばかりを漁っていないで、現代の飛騨の若者言葉を知る事も大切よ。ほほほ |
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