大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ディーゼル車通勤

戻る

車社会ですから飛騨でも一昔前とは比べ物にならないほどマイカー通勤の方が 増えているのでしょうね。 私が小学生時代の村を行き来する通勤人間といえば、第一が 大西小学校の先生方です。 大半が高山市にお住まいで朝早くの一番の乗り合いバスで 村へ向かい、なんとか始業に間に合うというわけです。 学校前バス停でゾロゾロと降車され、職員玄関に 入られますが児童らは校舎の中から、おはようございます、 とお迎えするわけですね。 また村の高校生は同バス停から高山の校舎を目指す、 人口のごく一部のバス通勤者です。

小生が中学生時代ですが、オートバイではるばる高山から 通勤という恩師がいました。雨の日はご苦労様。 がしかしその当時、先生らではマイカー通勤者が次第に増え、 授業のない時間帯はせっせと校舎の裏で車磨きをしていらっしゃったり、 あるいはそんな先生らがお互いにマイカー自慢話の 井戸端会議をしていらっしゃった事を私達生徒はちゃんと校舎から 見ていたのです。 でも飛騨地方におけるマイカー通勤のパイオニアの先生方ですからこそ、 教員という職はハッキリ言って高給取りに見えました。 生徒達は羨ましかったのです。

また当時、国鉄高山線は蒸気機関車が走っていましたので、 高山線沿線の人間が汽車通勤で、高山と自宅を朝な夕なに 行き来したのですが、高山線でパタリとエスエルが走らなくなったのが 昭和四十五年頃からだったでしょうか。ディーゼル車に替わるのです。

以上が前置きですが、別稿・電化に 高山線が今尚、電化されていない事を書きました。 そしてさて、列車通勤、電車通勤、汽車通勤などを キーワードにネット検索しますと相当数がヒットしますが、 ディーゼル車通勤については皆無に近いのです。 数少ない情報は全てがマイカーのディーゼル車でした。 現在、JR高山線を利用する通勤者の方々は何通勤といっておみえでしょうか。 古風な方なら、ついつい汽車通勤といわれるでしょう。 がしかし知らぬ人が、えっ未だに汽車が走っているのですか、 と仰天なさるかも。 話が通じやすいからという事で、電車通勤だ、という 人はいないでしょうね。事実に反します。 そしてディーゼル車通勤をしている、という人はマイカー通勤者 に間違えられます。
おまけ・ディーゼル車通学
遅生まれの高三は在学中に自動車普通免許が 取得できましょう。そんな彼が例えJRで通学していても、 ディーゼル車通学です、といえば、えっ君は高校生なのに マイカーで通学しているのか、と仰天する人がいるかも。

ページ先頭に戻る