大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

ひえ(稗)

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私:私は農家の長男であったし、子供のころからご飯だけはおなか一杯にいただいて、飢えを経験した事が無い。
君:現代でも、子供の貧困とか子供食堂とか、言われているわよね。
私:何にせよ衣食足りて礼節を知る。コロナ禍の世界の最重要課題でしょう。という事で今日の話題は「ひえ稗」。
君:雑穀ね。戦前辺りは飛騨地方では主食だったのよね。
私:ああ。手元に資料がある。岩島周一著「飛騨弁版画集・いろは歳時記」。ところで収穫にちなんで稗は秋の季語。
君:俳句があるのね。
私:というか、川柳だね。そのひとつが「こめのめしは 盆とまつりと 年とりと」。
君:つまりはお米だけの食事はお盆、村祭り、年越しの三日だけ。切実ね。ほほほ、正月はお餅をいただくのね。
私:その通り。稗のみの食事、あるいは麦、せいぜいが稗にわずかに米を足した食事が主食だった、というような内容の歌だ。
君:農家ですら、と言う意味かしら。
私:正にその通り。しかも戦前、つまりはついこの間の事だぜ。ところで飛騨地方は高山盆地と国府古川盆地という広大な平野がある。具体的資料がないので残念だが、これらの村々ではかなりのコメが採れただろう。ただし大西村のような山間の村々では林業が主な生業という事で、裏返せば、悲しいかな、ほとんどコメは採れなかった。だから川柳が生まれたのだろうね。故・岩島氏は丹生川在住。
君:でも、この川柳には稗が出てこないわよ。
私:そう言うと思ったよ。実は姉妹編で岩島周一著「飛騨弁水墨画集・いろは歳時記」もある。「へのめしと みそと つけなで しとなった」。
君:注釈が必要ね。
私:そうだね。「へのめし」は「ひえのめし」の事。「めし」である以上、米の飯だが、たっぷり稗入りの飯という意味だね。或いは稗そのものの食事を意味しているのかもしれない。「つけな漬菜」は漬物の事。「しとなる人成」は文字通り「ひとなる」ともいうが、成長して立派な大人になる事。
君:稗(ひえ)と粟(あわ)が戦前までの雑穀だったかしらね。両者の関係は。
私:いい質問だ。粟「あは」は古事記の五穀起源説に出てくる古来からの雑穀。縄文遺跡からもよく出る。志那北方民の常食。稗「ひえ」はイネ科一年草で神代記上の記述もあり、これも古来からの雑穀。稲と違い、荒蕪地や寒冷地にも生育し、水草・病虫害に強く、身の殻が固くて長年の貯蔵に耐える。稲作の困難な山谷や干潟に栽培される。稗のほうが粟より寒冷に強く、日本は稗の地方と粟の地方に分かれるが、飛弾は全体が高原にて夏ですら涼しい地方柄、稗の地方に属する。粟というものは見た事が無い、という土地柄なんだ。
君:なるほどね。それが証拠に岩島様の川柳に出てくるのは稗のみ。
私:もうひとつ、面白い事実がある。飛騨方言でトウモロコシの事を「トーナ」と言う。
君:稗と何か関係があるのかしら。
私:ははは、ひっかかったぞ。関係があるのは稗ではなく粟なんだ。「トーナ」の語源は「とう唐」+「あは粟」だ。室町時代に突然に飛騨にやって来た植物。はて、これは何という植物か。飛騨の人々は「これは若しかして唐の国に生育するという粟という植物なのかな」という事でトウモロコシをかってに「とうあは(トーナ)」と名付けてしまったんだ。
君:ほほほ、前に出てきたわよ。当サイトの鉄板ネタね。ひっかかった振りをしただけなのに。
私:うーん、そうだったか、やられたな。要は飛騨方言のロマンスとパトスだよね。だから方言の研究はやめられない。戦後の方言学は国語学の下分類扱いで、方言学を民俗学と完全に分離してしまったが、間違っていると思わないかい。小説だって、戯曲だってそうだろ。要は人情だ。方言学だってそうさ。つまりは冒頭のように僕はお米をたらふく食べさせてもらって育ったから、自分のご先祖様がたの事を思うと胸が詰まってしまうんだよ。ご飯粒を茶碗に残すと親に叱られたものだ。要は言いたい事はひとつ、言葉には言葉以上の深い意味がある。言語学ではメタ言語という。僕が「ひえ」という言葉を見ると泣けて仕方ない理由について今日はおさわりを書いた。コンピュータの自動翻訳が失敗するのはこの一点だ。
君:若しかしてご両親様から「一粒のお米でも作るのに一年かかるんだから。」と言われたのね。
私:ははは、その通り。なあんだ、わかってるじゃないか。もっともね、「じゃあ、お茶碗一杯のお米を作るのに何百年かかるわけ?」と切り返したら更に叱られてしまったけどね。脱線したが、日本の稲作文化について少しお話しよう。コメは江戸時代までの貨幣価値そのものと言ってもいい、各大名は石高でランク付けされた。明治に至り飛躍的な進化を遂げ、狩猟民族アイヌを農耕民に変えてしまった。米は資本主義の投機の対象になり大正7年、政府がシベリア出兵を決め軍用米を買い占め価格が高騰、米騒動という民衆蜂起、これを機に大正デモクラシーが始まる。原内閣成立。ところが軍閥の跋扈・関東軍の暴走・大量の日本農民の満州移民・満州国成立・泥沼の満州事変・戦時体制・食管制度・配給制・夢はかなく敗戦、戦後の闇市、GHQによる農地改革・小作の廃止・朝鮮戦争による特需景気、昭和27年にコメの供出制度廃止・予約売渡制度発足、悠久の日本の歴史において遂に米食悲願達成を成した日本人、特に飛騨の人々。僕が生まれたのは昭和28年。飢えを知らないラッキーな日本人だったね。しかも農家の長男とくれば。ぶふっ
君:ははあ、わかったわ。あなた、ビールじゃなくてお酒でしょ。
私:えっ、よくわかるね。尿酸値が高いからビールは飲まないが、昔は洋酒ばかりだったのに。今でもマンハッタンという名のカクテルが大好きでね。おい、義理の息子達、コロナがひと段落したら、また名古屋マリオットのスカイラウンジへ行こうぜ。でも、どぶろくが苦手なんだ。白川郷のどぶろく祭りって参加した事がまだないんだよ。怖いもの飲みたさに一度、参加しようと思っている。飛騨に生まれ育った僕としては当然の義務かな。
君:食わず嫌い、じゃなくて、飲まず嫌いね。ほほほ

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