ふらっと帰省して、懐かしくて気晴らしに寄りたくなる、といえば町の中心にデーンとましますお城、という方が多いのではないでしょうか。日本の大半の町が城下町でしょう、が悲しいかな飛騨高山は天領で大変に立派な代官所跡・陣屋が現存するのですが、やはり天守閣の威光には敵いませんね。陣屋の前には朝市が立ち、観光スポットにはなっていますが、歩いてすぐの所に小高い丘があります。城山公園です。関が原では徳川についた金森長近が築城したのですが、悲しき末代、六代目頼時は幕府側用人の要職に抜擢されたのがあだで突然に出羽に転封、高山城は破却の運命に。以後、飛騨は天領となり、幻の城下町高山は歴代の郡代、代官の執政が続いて明治を迎えるのでした。
筆者は高山の町に生まれ育ったわけではありませんが、例えば、ほう飛騨高山の出身ですか、と聞かれれば躊躇する事なく、はいと答えるでしょう。かつての町は良く知っている、高校三年間通学していた、親戚・知己も多い。そういえば城はありませんね、という問いにもきっぱりと、はいと答えます。江戸時代に約百年ほど城下町だったとて何になる、その後はずうっと代官所。戦国武将・金森長近をお知りの日本人が何人おみえでしょう。何万石であったかなど誰も知る由もない。
それでも筆者の友人では、城下町の出身で無い者は少なく、離島の出身であったり、まあそれはよしとして現に高山には一世紀に渡って城があったのだから、城下町でないのはなんとも寂しいと思わないわけではないのです。信州松本出身の友人ですが、城の近くに住んでおり、子供の頃はよく城で遊んだ、日本で最も古い開智小学校、松本深志の卒、などと聞かされると自分の生い立ちがなんともみすぼらしくなってきます。そうよ所詮、佐七は根無し草。大西小学校は既に廃校、飛騨で唯一の都会・高山には城すら無いのが何とも恨めしいのです。つまらぬ方言駄洒落ですが、彼の毛並みがけなるい(=うらやましい)私。松本市民は国宝松本城も八万石も誇りでしょうが、高山市民は代官所が誇りでしょうか。また石高ですが、飛騨を揺るがした農民一揆、大原騒動の事を思えば佐七は口が裂けても言いたくないのです。
さてとどめが歌ですね。松本出身の彼の好きな歌が、青春の城下町。梶光夫昭和39年の流行歌ですが、筆者にとっても小学生時代の懐かしの歌。当時私が感傷に耽るといえば裏山に登り、そして見える景色は村の家々と鎮守の森、また中学生になると中学校は小高い丘にあり、眼下に家並みがある、そしていつも歌ったのが青春の城下町。少年佐七が何を見ていたかはご想像に任せます。
尚、高山の城山公園ですが、うっそうとした木々が生い茂り、実は野鳥のサンクチュアリとなっており、環境保護の点から国・県・市が幻の高山城復元を試みる事はないようです。つまりはようやく佐七も気持ちの整理がつきました。
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