明治時代あたりまで、実際に使用されていた橋の一種の事ですね。
同語をキーワードにネット検索しますと、若干がヒットします。
これがすべて、猪谷関所あるいは五箇山の情報ですから、
籠の渡し、といえば江戸時代までの飛騨の風物詩、という事で
決まりでしょう。
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ただし、多分日本一有名な渡し・矢切の渡し、のような
のどかな渡しではなく、飛騨の籠の渡し、は深山幽谷にたった一本の
綱を渡し、そこを小さな籠にただ一人乗って自らがひたすらに綱をたぐる、
というものですから、怖い・心細い・とても疲れる、という
なんとも早、泣けてしまう渡しであったのでしょう。
六十余州名所図会「飛騨籠渡図」(富山市売薬資料館所蔵)
などの情報ですが、確かに絵になっています。
ただし、五箇山の籠の渡しは住民の貴重なライフラインと言う事で
私設のものばかりだったらしいのですね。明治時代には
無くなっていたのでしょう。筆者の村・大西村の上流、つまりは飛騨川には
籠の渡しがあったという話は聞いた事がありませんが、
あったとしても不思議ではない地勢です。
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