大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 泣ける言葉 |
奥飛騨の地下鉄 |
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神岡鉄道とはかつて飛騨神岡とJR高山線・猪谷駅を結んでいた単線で総延長が20キロ、北飛騨の中心地・神岡と富山を結ぶ唯一の公共交通機関だったのですが、神岡鉱山の閉鎖に伴い鉱物運搬の役目を終え、旅客のみでは経営が立ち行かなくなり、つまりは全面閉鎖になったのが2006年12月1日だったのでした。さようなら神岡鉄道。2006年頃といえば私がこの方言サイトを開始した翌年の事、今となってはかなわない事ですが、せめて一回、乗っておけばよかったな、と思う今日この頃です。グーグルマップをよくよく見ますとトンネル部分がどこか、つまりは例えトンネルであれ山の中をどうやって走っているかがわかりますのですぐに気づく事ですが、トンネルに次ぐトンネル、全線の六割をトンネル部分が占め、その結果、神岡鉄道についたあだ名が「奥飛騨の地下鉄」というわけです。飛騨、わけても北飛騨が如何に秘境の地であるかがご想像いただけるでしょう。 ユーモラスという言葉で表現するにはあまりにも残酷な現実。日本四大公害のひとつカドミウム汚染米による骨粗鬆症・イタイイタイ病、つまりは国民の憎悪の対象となった神岡鉱山。天命の廃山・過疎・赤字・廃線の経路をたどった神岡鉄道ですから、「奥飛騨の地下鉄」のあだ名に岐阜県民の私が感ずるのは贖罪と哀愁の二語です。 上記の二つの貴重な動画ですが、涙しながら何度も見てしまいました。それでも飽き足らず、実は先だってはオートバイで神岡の町を訪れました。ところで、この一、二か月、コロナ感染が再燃し、岐阜県下に非常事態宣言が出され、県外への不要不急の外出は控えてくださいとの事でしたが、満タンにすれば岐阜県の南端の我が家と岐阜県の北端の神岡との往復は無給油で十分可能です。食料・水を詰め込み、誰とも接触せずに現地視察が出来ます。実は国道41号は小坂で飛騨川の氾濫にて道路が決壊、閉鎖中です。ただし地元の人ならだれもがご存じの裏ルート、つまりは萩原町尾崎から高山市一宮町段まで位山官道、別名・飛騨工街道、の林道を利用すれば下呂から高山へ抜ける事ができるのです。 今回の神岡ツーリングですが、気持ち的には、どうしても昔の懐かしいあの人に逢いたい、逢えるわけがないけれど、というような感じでした。さあ神岡に着きました。まずは大津神社へお参り。あれやこれやお祈りしてきました。読者の皆様の幸せもお祈りしました。御神籤に何が書かれていたか、それはあなたの心の中にあります。神仏を敬い神仏を畏れず。誰もいない境内でひとり思索にふける事、一時間でした。Now having peace of mind, 続いては高原川を下り、廃線となった神岡鉄道を求めて高原川に伴行する国道41号線を走ります。まさに秘境の道路で、両岸はそそり立つような山、深山幽谷です。高原川は大半が新猪谷ダムとなり、間違って転落したら命はありません。時々、あっあれだ、という事で赤い鉄橋が見えます。神岡鉄道は蛇行する高原川を串刺しにする焼き鳥の柄にも例えられ、肉と肉の間に僅かに見える柄が赤い鉄橋というわけです。大部分の柄は焼き鳥の肉、つまりは山に埋もれています。神岡鉄道が奥飛騨の地下鉄と言われる所以です。 歴史に若しもはありませんが、JR高山線が飛騨杉崎を過ぎて数河峠経由で神岡まで繋がり、そして高原川を下って富山県・猪谷まで延びていたら神岡は未来永劫に鉄道によって富山や高山市・古川町と繋がっていたであろうに、本当に残念ですね。亜鉛鉱石運搬目的の神岡鉱山鉄道の開通が1922、国鉄飛越線の猪谷・杉原間開通が1932、高山線の全線開通で岐阜・富山が繋がったのが1934ですから、当時の国力を推して知るべし。岐阜・富山はなんとか繋がったからよかったのですが、どうしても繋がらなったのが越美南線と越美北線ですね。恐怖の油坂峠です。これまた深山幽谷、九頭竜ダムですね。兎に角、飛騨は高山盆地と古川盆地以外は山々のみ、県境や県内でも岐阜県の南半分・つまり美濃地方とも隔絶された秘境なのです。 鉄道と方言には実は不思議な関係があり、これを定量化し、学問としてとらえたのが井上史雄先生です。一般書としてはちくま新書「変わる方言 動く標準語」ISBN978-4-480-06348-9 があり、ご興味を抱かれた方は是非。 |
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