神岡鉱山がいつ廃止になったのか記憶が定かではありませんが、六十年代の小学生の頃、社会科地図帳に大きく町の名前が出ており、大西村と大違い、飛騨の山奥にもとにかく凄い所があるものだ、と子供心に思っていました。
中学時代ともなると(1967-69)、社会化・地理の勉強も本格的にはなりますが、当時、突然に社会問題になったのがカドミウム中毒・イタイイタイ病です。これまた大変な事態になったものだ、と不安におののいた中学生の佐七でした。
神岡鉱山は神岡町民にとっては死活問題であったのですから、鉱山が無くなった事には泣けてまう(=てしまう)方ばかりでしょうが、実はホッとした方もある可能性はないでしょうか。筆者自身は特別な感慨は無く、初めがあれば必ず終りがある、この世の無常を感じています。それでも町には鉱山資料館があるようですが、佐七が是非とも訪れてみたい場所です。また東京大学総合研究博物館 デジタルミュージアム展があるようですが、こちらは入場無料で毎日二十四時間オープンです。
さて本題ですが、先だっての新聞記事に高原川にかかっていた神岡鉄道の引き込み線の撤去作業が始まったとか。橋脚を残すのみです。神岡の町からまた一つ見慣れた景色がなくなっていくのは寂しい、という地元の声も書かれていました。富山県民感情もこの程度の佐七記事はお許しくださるでしょう。
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