大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム・泣ける言葉

(ながれは)流葉国体

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私:今日は変わったところで国体のお話をしよう。
君:(ながれは)流葉国体だから流葉スキー場での国体、つまりは冬季国体ね。
私:その通り。岐阜県で冬季国体が開催された事がある。
君:いつの事?
私:第24回大会(昭和44年・1969年開催)
君:あら、なるほど。冬、岐阜(神岡町)、 2.13 〜 2.16、競技数1、参加1,901名となっているわね。
私:スケートは山梨県・河口湖は良いとして、何かおかしいと思わないかい。
君:期間が短いし、あらいやだ、競技数が1。
私:そうなんだよ。ひとつの競技しか出来なかった。
君:えっ、どうして。予算の関係?きちんと予算を組んで岐阜県の威信にかけて準備なさったと思うけど。
私:一種類の競技とは回転競技だったのだろうね。記憶が定かではないけれど。
君:若しかして暖冬が原因で、全く雪が降らなかったという事なのね。
私:その通り。昭和44年・1969年と言えば僕が中三の冬、卒業間近の事だからよく覚えている。
君:若しかして高山あたりでも降らなかったという事かしら。
私:ああ、全国的に暖冬だったんだよね。僕の住む久々野町にも(ふなやま)舟山スキー場があるが、今は名前が改まり「アルコピア」、最近はあまり降らないので人工降雪機をフル稼働しているね。
君:流葉と言えば奥飛騨だから、飛騨を代表するスキー場。高山市界隈のスキー場が雪不足に悩む事はあるかも知れないけれど、さすがに(すごう)数河高原の流葉スキー場が雪不足に悩む事は考えにくいわね。しかもよりによって冬季国体開催の冬に。
私:当時は人工降雪機なるものはまだ無かったという事なんだ。有れば使っていただろう。ところで北アルプスの朴ノ木平は1971年に開設。つまりは1969冬季国体といえば流葉で決まりという時代だった。朴ノ木平が1969に開設していたらね。歴史に若しもは無いのだが。嗚呼
君:人工降雪機は最近のスキー場はどこもかしこも使っていらっしゃるのじゃないかしら。
私:今、ネット検索をしたが、この流葉国体の反省を踏まえて、1970以降に急速に普及したらしい。
君:でも、なんとか少ない雪で回転競技だけが開催出来たのよね。
私:いろんな噂が飛び交っていた。久々野中学校の担任が言っていた話なので、かなり信ぴょう性は高いと思う。
君:どんな噂?
私:岐阜県知事が自衛隊の出動を要請したらしい。
君:全国民の為の国体だから、それは確かに有りよね。
私:自衛隊トラックが北アルプスの雪をかき集めては流葉スキー場にせっせと運搬している、と担任が言っていた。
君:あら、そうなの。黒いゲレンデを白銀の世界にするのには、相当数のトラックが動員されたでしょうね。
私:有らぬ事か、岐阜県知事は神岡の船津高校にも要請した。
君:えっ、どういう事。
私:それはつまりは、生徒さんもスコップでゲレンデ作りを手伝ってください、という事。
君:あらら、生徒さん達が可哀相ね。
私:担任も同感想だった。ただし「我が久々野中から船津高校に進学した生徒はいないから、その点だけが救いだ。」ともおっしゃってたな。
君:確かに、久々野と神岡では通学は不可能ね。
私:それに船津は当時、普通科。進学が目的の自分の高校入試目前の冬だったからよく覚えている。
君:久々野中では舟津の選択肢は無いわね。普通科なら斐太高校。
私:県内模試は飛騨では常に負け知らずの中学時代、いっそ岐阜高校に進学しようか、さんざん迷ったよ。
君:船津高校の生徒さんの事はどう思ったの?
私:そりゃもう、君と同意見だ。学徒動員は無いだろ。可哀相だと思ったな。そして担任の一言は余分だったね。教育者なら「私も手伝いに行きたい」と言うべきだったのだよね。
君:でも、なんとか国体は終わったのね。残念な事に滑降とかジャンプとか、結局、主催されなかった種目もあったのね。
私:そういう事だ。ネット検索したらアマゾンに「暖冬―歌集 (1969年) (原始林叢書〈第38篇〉) − 1969/1/1山下 秀之助 (著)」なるものがあった。
君:なるほど、同年が暖冬であった証左だわよね。
私:話はまだ続く。昭和44年5月〜10月の低温
君:つまりは暖冬に続いて、その年は冷夏になったという事なのね。
私:らしいね。昭和44(1969)夏と言えば斐太高校の一年生だが、こちらは全く覚えが無くて困っている。
君:高1の夏休みにひとつも思い出がないという事?
私:いや、そんな事はないね。担任が英語の近藤先生だったが、僕だけが教科書は新学期の数週で読み終わっていて、英検二級は高1で取得、夏休みの前に職員室に行って先生に夏休みをかけて一冊読みたいので推薦してください、とお願いしたんだよ。
君:近藤先生の反応は?
私:何か文学書か?とお思いになったらしく、一瞬、キョトンとしておられた。隣の机の先生がすかさず「ははは、英語の読み物ですよ。彼が読みたいのは。」とおっしゃるので、「ははは、そういう事かね」の近藤先生のお言葉に続き、三人で笑った事を覚えている。それじゃあ、と先生はご自身の書棚から一冊を取り出して、これを二学期までに読んで来い、と御貸しくださった。
君:へえ、なんという本?
私:それがね、残念な事に思い出せない。多分、オー・ヘンリー短編集。e.g. The Gift of the Magi 今までどれだけの読書をしただろう。高校時代は図書館の貸し出し冊数は常に学年一位だった。
君:あらら、京アニ「氷菓」の世界じゃないの。古典部があったら入部していたわね。
私:いや、古典部じゃなくてクラシック・ギター同好会に入会した。
君:へえ、子供の時からギターをやっていらしたの?
私:いや、中二からだ。ビートルズの影響だね。小学生から大学生まで、ビートルズが現役の時代に僕は育った。ビートルズ世代だ。幸運だったと思っている。
君:ギター同好会はいつまで続けたの?
私:ははは、時を同じくして僕と同じく新入生で長い黒髪の白魚のような指の可愛子ちゃんも入会して、しかもうまい、こりゃあ楽しい三年間の高校生活になるぞ、と期待に胸がふくらんだんだよ。
君:へえ、良かったじゃない。
私:でも彼女は直ぐに退会してしまった。
君:ははあ、あなたはじめ、周りがあまりにも下手だから。
私:その通り。イチロー語録だが「悪いフォームを見てはいけません。一流のフォームを見ないとうまくなれません。」
君:彼女が退会したから、あなたもね。
私:その通り。心ポッキリ。直ちにギターとは決別した。大学生時代は留学を夢見て英語にまい進、医者になってからは医学ひとすじ。ただし、この十年ほど、再びギターをやっている。
君:あら、よかったわね。ビートルズ世代は違うのね。ところで完全に脱線しているわよ。
私:いや、そうでも。何事もそうだが、好きこそものの上手なれ。どんなお稽古事も一万時間を費やせばプロに近づく事が出来るそうだ。
君:つまりは「スキーこそものの上手なれ」。何事もたゆまぬ努力ね。天才も99%が努力だというわ。はうげん/の/みち/に/せんだち/あらまほし/と/おぼさるる/こと/なく/つとめ/みがきて/な/ながれ/そ。

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