ねのはら、とは地名です。朝日村の子の原高原の事です。
名前は体を現す、かつては牛が放牧されていたのでしょうね。
ね・うし・とら、つまり、子とは牛鼠の意味でした。
ねのはら、とは牛ねずみがむれる高原・はらっば、の意味です。
特に筆者が泣けてしまう言葉が、
子の原高原スキー場。
いつの間にやら閉鎖になっていました。
飛騨はかつてスキー場ラッシュで、
ここかしこに新設されたのが昭和の三十年代の話でしょう。
未だになんとか経営が続いているというスキー場は
したたか、という事でしょうか。
なかには歴史のかなたに消え去ったスキー場も
あるのです。その一つが子の原高原スキー場です。
ものごとには初めがあるものは必ず終りがある。
明日あると思う心のあだ桜、
当サイトとて例外ではありません。
さて筆者の生まれ育った故郷・大西村、
この地元にあるのがかつての舟山スキー場、
現在のアルコピアです。
オープンは確か 1965 前後だったでしょう。
そして本日のテーマ、子の原スキー場ですが
オープンは、・・・うーん、いつだったか
忘れました。
舟山スキー場に遅れる事何年かでしょう、
えっ、朝日村にスキー場ができたの!!??と
びっくりした事だけは覚えているのです。
私が中学生の時だったでしょうか。
そんなしょうもない思い出話はやめて
子の原高原スキー場の滑降の思い出にしましょう。
筆者が大学生の時でした(1972-53)。
すみません、何年生の時かまるで覚えなし、
高校時代はめざせ大学、受験勉強以外やっていませんが、
大学生ともなるとそれではいけない、
天下を知る人間に
なるには地元を知らなくては、なーんちゃって、
運転免許証も取ったし、佐七がたったひとりで
子の原高原スキー場の見聞と決めた
一日なのでした。
ところで筆者の滑降技術などゼロに等しい。
私は体育で3以上の点を取った事がありません。
さてそれでも、佐七が未だに脳裏に焼きついているのが子の原の景色です。
冬の乗鞍、これを間近にみた感激という事を
佐七は生涯忘れませんでしょう。
南極越冬隊の装備で三日やればひょっとしたら
俺は乗鞍の剣が峰をやれるかも、とその時にフト
考えてしまったのでした。
勿論、絶対にやりませんけど。
兎にも角にも、子の原高原スキー場にいると。
ホント直ぐすこに見えるんですよ、乗鞍の剣が峰が。
話はまだ半分、目の前に広かるのが御岳の全貌、
はっきり言って信じられない大光景です。
ところで御岳の全貌を見たい方は高山市久々野町の
アルコピアスキー場へいかれたらよろしい。
御岳もよく見えるし、北アルプス全体が
よくみえる。
ところが早い話が遠くからの眺め、
こんなの子供だましですわ。
子の原高原スキー場からみえる景色、
ガーン、目の前が全て御岳。
ですから今もキャンプ場になっているようなので、
つまりは子の原高原への道が既になくなっている
わけではないいようなので、
子の原から、ガーンと目の前が全て御岳を
ご覧になりたい方は、季節を問わず子の原へどうぞ。
夏のドライブなどに注意など必要ないでしょう。
標識の制限速度さえ守れば後はよろしい。
もうひとつ、カーブでクラクションを鳴らす事です。
ところが問題は冬ですね。
チェーンがない車は走る棺おけも同然やさ、
冬のダム湖に沈めばよろしい。
と言う事でワンポイントアドバイス、
冬道に自信のないやつぁ絶対に冬に子の原行ってゃあ
だしかんぞ。
ってことやでなあ頼むさ。
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