大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム・泣ける言葉

両もらい、しとね親

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私:私の生い立ちについては既に別の記事で随分と書いた。
君:高山市の出身とは言え、一山超えた郊外の戸数30程度の村、高校へは片道一時間のバス通学、農家の長男。
私:その通り。
君:今日は泣ける言葉が二つね。
私:ああ、共に家系の存続という事で深刻な意味を含んでいる。
君:両もらいとは。
私:共通語で言うなら夫婦養子という意味だね。つまりは夫も妻もなんと共に養子、つまりは養子同士の結婚という事。だが然し、飛騨方言ではよりディープな意味を持っている。
君:とは。
私:夫であれ、妻であれ、養子という事は有り得るだろう。今も昔も変わらぬ事。子宝に恵まれない夫婦にとっては切実な問題、このままでは家系が絶えてしまう。さりとて子供がいないからという事で夫婦は簡単に離婚できるものではない。ましてや昔の事、医学というものが無かった時代に男性不妊なのか、女性不妊なのかはわからなかった。仮に離婚したとしよう。再婚した夫はやはり子宝に恵まれぬ、ところが再婚した妻は新しい夫の間で子宝に恵まれる、こうなると男性不妊であった事は誰の目にも明らか、それは離婚した夫にとっては屈辱ものだろう。だから離婚はせず、生まれたばかりの赤ん坊を養子にもらい、二人で大切に育てる。先人の知恵という事だよね。
君:普通は女の子を一人、育てるのじゃないの。
私:いや、それでは娘になって嫁がせてしまうと、やはり家系がなくなってしまう。むしろ男の子を育てたほうが、将来はその長男がお嫁さんをもらって一家は四人になる、孫が生まれれば家族は五人になる、万々歳という訳だ。そういう私だが、娘二人を医者にしたのはいいものの、二人とも嫁いでしまった。診療所の後継者はいない。患者様が心配してくださっている。
君:まあ、大変ね。ところで、男の子を養子として手放すのは余程の子だくさんで育児が大変なご夫婦の場合よね。
私:飛騨はね、封建的な男尊女卑の社会だから、男の子の養子を探すのは大変なんだよ。
君:男の子よりも女の子のほうが素直に育ちやすいわね。
私:その通り。養子の鉄則というか、もらうとすれば一般的には女の子というのが世間のお考えだね。
君:その女の子が娘さんになって立派な男子と結婚、その男性にも養子となってもらえば万々歳よね。
私:そういう立派な男子を養子として手放すようなお人よしの家は無いんだよ。
君:まあ、わからなくもないわね。
私:そこで編みだされた方法が「両もらい」だ。
君:むむっ、まさか男の赤ちゃんを或る家から、女の赤ちゃんを別の家から、つまりは男女の赤ちゃんを養子としてもらうのが「両もらい」なのね。
私:その通り。女の赤ちゃんなら養子にもらいやすいし、育てやすい。ついでに男の子が沢山いる夫婦にまた男の子が生まれたというそんな家に押しかけて拝み倒して男の子の赤ん坊も養子にもらってくるんだ。
君:一人っ子として育てられるより、お兄ちゃんと妹、二人は仲良く育てられるという事で、案外、いい事だわね。
私:その通り。良いこと尽くめだ。
君:やがて二人は大人になる。お兄ちゃんは新しいお嫁さんをもらい、妹はどこかへ嫁いでいくのね。
私:・・・違う。
君:?違うってどういう事。
私:遂に今こそ、父母は二人の子供に真実を告げる時が来た。
君:・・・あなたたち二人は共に養子、私達の実の子供ではない、と。
私:その通り。
君:びっくりするわよね。
私:両親は更にびっくりする事を子供に伝える。
君:・・・若しかして・・。
私:そう、若しかして。
君:あなたたち二人は元々は他人同士なのだから、結婚してこの家にいなさい、と。
私:その通り。
君:お兄ちゃんは「ぎゃーっ、俺、妹と結婚するの!!」と叫ぶのかしら。
私:そう、妹も「ぎゃーっ、私、お兄ちゃんと結婚するの!!」と叫ぶ。
君:・・・若しかして、両親は恥ずかしそうに「お前たち、今夜からは一つの布団で寝て好きな事をやりなさい」と促すのかしら。
私:・・・そう、促す。そして両親はさっさと自分たちの寝室へ。
君:残された兄と妹は「どうする、結婚しちゃおうか」と相談しあうのかしら。
私:その通り。「今まで育ててくれた親に恩返しする唯一の手段なんだよね」という事で二人は結婚を決意する。
君:若しかしてお兄ちゃんは妹に「俺はお前が昔から好きだった。」と告白するのかしら。
私:そう。妹も「私も昔からお兄ちゃんが好きだった。お兄ちゃんのお嫁さんになれるなんて、私、なんて幸せ。」と告白する。
君:親戚一同が会し結婚式もつつがなくお開き、やがて孫が生まれ、家族は三世代五人家族となるのね。めでたし。
私:そう、そういう意味では泣ける言葉というのは感涙という意味だが、絶対に逆らえない結婚でもあり、自由な恋愛もままならず、正に人権問題とも言える「両もらい」システム。
君:今の時代では考えられないわね。
私:ところが、飛騨地方では極、当たり前の社会慣習だった「両もらい」。
君:昔の人はたくましかったのね。
私:そこで冒頭の話に戻るが、我が家は墓石に寛永・寛政が刻まれているし、古い仏壇の過去帳もあり、旧家と言えば旧家かも知れないが、江戸時代に「両もらい」で二回、家系を繋いでいる。
君:まあ、それはそれは。あなたのご先祖様も大変なご苦労があったのね。
私:ああ。つまり、冒頭の話に戻るが私の素性は「僕はご先祖様が二回、両もらい。僕はどこの馬の骨?」。
君:そんなに卑下する必要は無いわよ。
私:よくは知らないが、僕の体には沢山の飛騨人の血が流れているのだろう。夫婦養子を意味する方言を全国で調べてみよう。「リョーモライ両貰」があり神奈川県中郡、富山県、岐阜県飛騨の方言、そして「リョーイセキ両移籍」があり神奈川県津久井郡、山梨県南巨摩郡の方言。全国広しと言えども方言としてはこれだけだ。先ほど日本方言大辞典全三巻を調べた。情報の少なさに驚いている。という事で、めずらしい言葉だ。
君:「しとね親」とは。
私:これは中部地方で広く使われている方言だね。動詞「しとねる」他ラ下一の連用形「しとね」。「ひとなる」自ラ五(自動詞ラ行五段)の動詞がある。意味は「ひと人」+「なる成」、つまりは人として立派に成長する事。「ひとなる」が自動詞ならば「ひとねる」他ラ五(ラ行五段)は他動詞というわけだ。つまりは「ひとなる」は「育つ」の意味で「ひとねる」は「育てる」の意味。飛騨方言ではハ行からサ行へ子音交替が生じて「しとなる・しとねる」になる。つまりは「しとね親」は「育ての親」の意味。飛騨に伝わる格言に「産みの親よりしとね親」がある。
君:「氏より育ち」などともいうわね。教育の大切さを表す言葉なのよね。
私:その通り。教育ほど大切なものは無い。
君:立派に育てた両もらいの子ならば、親の教えに従って立派な夫婦になるわね。
私:う、うれじい。僕のご先祖様をそんなにもお褒めくださるとは。ところで次回は君の出生の秘密のお話で。
君:ほほほ、世紀の大恋愛の結果の愛の結晶よ。

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