大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

飛騨人が泣けてまう言葉・山賊

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どなたもおそらく飛騨は山深い国だから山賊がいたのであろうと思われましょうね。 さて日本書紀に両面宿儺(すくな)の乱の記載があり、 ネットからの断片情報によりますと山賊のような悪党であったそうな。 がしかしその実は、地元・丹生川村に伝承されるおとぎ話、 といったほうが正確でしょう。これが唯一の山賊情報です。 つまり筆者自身は飛騨に山賊などいたはずがない、と考えます。

検索範囲を少し広げると可茂郡東白川村の無反(むそれ)峠の 山賊の児玉 の記載があるものの、飛騨・美濃をあわせても山賊のネット情報は 皆無に近いのです。佐七が世間の誤解に泣けてまう理由です。

勿論ですが、実際の山賊とは全く関係ないネット情報は散見されます。 まずは、信長の野望、という名のコンピュータゲームにででくる "飛騨の山賊"というキャラクターです。持っている武器等々が ネット情報として得られます。次いで飛騨各地の食べ処が ご紹介する料理が、山賊鍋、山賊雑炊、山賊定食、等々 のいさましい名前、つまりはボリューム満点、 あるいは辛いような、硬いような男性向け料理なのでしょうね。 ところで私が行く炉辺焼きの店にターザン焼きの名前の鶏の フトモモの姿焼きがありますが、私がこれを名づけるなら"飛騨の山賊焼き"で決まり。 パソコンゲームのキャラクターといい、大料理といい、 山賊といっても無邪気なものです。

繰り返しですが飛騨には山賊はいません。死語です。 飛騨総合ポータルサイト に飛騨の民話がまとまって紹介されていますが、山賊はでてきません。 心温まる民話ばかりです。 その昔、飛騨は日本の東の果てという事で飛騨に国府があり、 国分寺が建立され、都と国府を結ぶ道・東山道飛騨支路 が開かれたのですが、実に交通量の少ない道であったという 事が想像できますね。江戸時代までは言うに及ばず、 いや実は昭和九年に国鉄高山線が全通するまでは、北は富山へ、南は美濃へ、 東は信州へ、西は白川郷から砺波平野を目指すにしても、郡上を目指すにしても、 テクテクと二日、三日歩かねばならなかった偉大なる田舎、 ハイランド飛騨、下界に住む山賊どもがわざわざやって来るべき 所ではなかったという訳です。

人里離れた所を好む山賊にすら敬遠されたハイランド飛騨ですが、 でもご先祖様がたは飛騨の中なら、月夜の明かりが頼りであろうとなかろうと、 どこへでも安心してテクテク歩いていけた訳ですから、良かったですね。 山賊ってのはホント怖いですから。
おまけ
越後の酒・五郎八、ですが実在した山賊の名前が由来だそうです。 さて戦国時代に飛騨を平定し、江戸時代に高山城を築いた金森長近ですが、 幼名が実は五郎八。越後と違い、飛騨での五郎八は大名の幼名です。

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