したがり・下刈り、は共通語ともいえましょうが、
下草刈りが詰まった言葉です。
ご興味ある方はお調べあれ。
岐阜県、特に飛騨地方は木の国・山の国ですから、
造成林の手入れというものは、それはもう大変で、
その最たるものが下刈り、という訳です。
うれし泣きの言葉ではなく、過酷な労働であるがための
悲しい言葉という事ですね。
この言葉はなんといっても夏の季語です。
伐採が済んだ荒れた山肌に小さな苗木を植えますが、
言わば盆栽のような小さな生命、ところが
夏になるとこの荒れた山肌はあっという間に夏草、
つまり雑草の斜面になってしまいます。
せっかく植林しても、あやうし盆栽。
とにもかくにも幼い苗木が夏草に負けないように
草刈をせねばなりません。
ところが苗木が育つには五年も十年もかかります。
つまりは、この山肌を這いずり回って鎌を用いて
ひたすらに夏草をなぎ倒す作業が下刈り、です。
この苗木が、年々成長して、やがては
いかなる夏草の繁茂にも
負けないほどに育つまで、同じ山肌で
毎年の夏に下刈りを繰り返さねばならないのです。
山肌は広い、一日中、朝から晩まで夏草を刈っても
作業量には限界があります。
しかも暑い盛りに来る日も来る日も、黙々と単調な肉体労働です。
危険はある程度伴いますが、
さりとて技術の要る難しい作業ではないので、
子供の手伝いすら要求されます。
両親に連れられ、毎日、山に入った夏の日々が
思い出されますが、そう、親の言葉も。
子供心に聞いてみたことがあるのです。
こんな辛い単調な仕事をいったい何を考えながら黙々と
下草刈りをしているのかと。返って来た言葉は、
なかなか、ええ質問や。黙って仕事しとるけど、
あれこれ好きなことを考えてばっかりで大忙しや。
あれこれ頭の中であそんどるんやさ。
考え事のあそびやさ。
体だけが仕事しとるんやさ。
はい、子供は親の一言をしっかりと覚えています。
親は子供にうかつに物事はいえません。
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