大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨人が泣けてまう歌・われは海の子

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そりゃそうでしょ、飛騨は山国で海が無いのだから、 文部省唱歌とて小学生当時のついぞ口ずさむ事がなかった歌でした。 でも海辺に生まれ育った方々にとってはかけがえの無い歌でしょうね。 また、あたまを雲の上に出し、富士山の歌もあまり ピーンと来ませんでしたね。見た事が無いものですから。 静岡出身の友人がいますが、彼の口癖が(富士山・命)、 富士山を見て育った僕はあの山は日本全国どこからでも 見えると思っていたんだけど見えない地域もあるんだね、 ですって。 私には、海も富士山もいつか見たいなあ、と歌った思い出だけがございます。

それでも小学生の私は三田明さんの"若い港"にはしびれてしまいました。 彼はかっこいいし、歌詞がまたいい、七つの海が呼んでるぜ、 しびれます。イントロが公式サイトで聞けます。 是非、どうぞ。さて飛騨に生まれた以上、高校は地元でというのは 半ば宿命ですが、つまりは一生懸命勉強して商船大学に入れば 飛騨出身者でも七つの海に羽ばたく事が出来よう、 そのような夢と希望を三田明さんは与えてくれたのです。

また当時からNHKみんなの歌をやっていて、錨を上げて(Anchors Aweigh)、 にもしびれました。 米国海軍の歌ですが、海辺の学校のブラスバンドの はまり曲でしょう。 尤も飛騨の吹奏楽部がこの曲を練習する事は無いでしょうねえ。

ところがどうにもこうにも、泣けてまう歌・われは海の子、です。 いったいどないして山の子が海の子になれるっていうんですか。 また薄情な事に、飛騨方言で、われは海の子、といえば実は、 あなたは海の子、という意味になります。実際には格助詞・は、 は極めて弱く発音しますので、わりゃあ海の子、といえば まさに飛騨方言です。 長野・山梨・栃木・群馬の子供達も同じような気持ちでしょうか、 京都・奈良の子供達は都の子だから山の子のような ひがみ根性はないのでしょうね。
おまけ
そんな私も、国民の祝日・海の日が突然に 制定された時は、なんだか有難い話だな、と思いました。 またちなみに岐阜県は八月八日を山の日と定めたそうで、 海の日共々よろしくお願いします。

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