全国には街道筋と呼ばれる観光名所が多く、江戸時代をほうふつとさせる景観にうっとり、という事で、さながら江戸時代版ディズニーランドですが、たとえそれがファンタジーの世界であるにせよ、実際の江戸時代とは多少、異なったとしても、時代考証に百パーセントは有り得ませんから、すべて良しとしましょう。
さて、私がここでお書きする街並みといえば高山市に決まっています。・・・実は先だって自宅の可児市をオートバイで出発し、高山市をちらりと見て参りました。近所のなじみのフランス料理のご主人が、いまコロナ感染の影響で観光高山も打撃のようで観光客がいなくなってしまったようですね、とおっしゃって気になってしかたなかったのです。意を決して高山レポートをするべく、見て参りました。ガソリンは満タンです。無給油で可児の自宅まで戻れます。食料も水も全て持参です。どこの飲食店にも寄りません。トイレは・・想像に任せます。二時間おきに適当に済ませます。勿論、人とは一切、接触しません。ただ、鉄の馬にまたがって往復400キロほど、時間にして10時間ほどをトボトボと走るだけです。目的はただひとつ、高山の賑わいがどうか・コロナの影響が無いかチェックする事。
行く途中ですが、そうだ、あさんず橋をチェックしなくっちゃ、と気づき、下呂市萩原町尾崎へ寄りました。・・ありました、あさんず橋の碑。どっ、どうしよう、漢文で書いてある。意味不明、でもない、ちらっと読んだら一割ぐらい意味がわかった、もう一度読んだら二割ぐらい意味がわかった、でも、どうしても判らない字句もある。まあいいや写真に撮って後は福井重治さんに泣きつこう。福井氏は私の久々野中学の一年先輩で、名古屋大学では同級生、文学部のご出身ですが古文書に詳しくその道の大家です。彼の著書は数えきれません。・・脱線しましたが、私が碑にくぎ付けになっているとお隣のおばちゃんが家から出てきて話かけてきたのです。・・・どうしよう、コロナ。人と人が接触したらあかんちゅうに。でも会話せざるを得ません。段ボール箱いっぱいの郷土史の本をお見せてくださって評価してくれ、とおっしゃるのです。ひぇーっ、素敵な本ばかりです、これは全てを下呂市図書館に寄贈してください、と私は彼女に指示してしまいました。近くにどなたかの学び舎か、萩原北中学校と萩原尾崎小学校がありました。
またまた脱線しましたが、小一時間走って旧高山市に到着、直ちに本町通・中橋・城山付近をグルグルと徘徊、オートバイの強みです。小回りがききます。観光客はいらっしゃいました。それなりの賑わい。しかもコロナも高山市では流行っていないし、まあ、これならいいんじゃないか、という感想です。という事でやっと本題・・どうして、どうして、高山の街並みって、漆の格子戸か、まっくろけになってしまったのでしょうね。昔はさすがにここまで黒い街並みじゃなかっただろ。古い街並みという事で確かに色としてはオッケーですよ。冬など白い雪とのコントラストでなかなか見ごたえのある景色でしょう。ベストカラーマッチング、誰か仕掛け人がいるのでは、市役所の同級生のあいつかも。ついでに少し川下・母校の斐太高校まで走りました。ガラーン、誰もいない。春休みだから当たり前ですが。大八賀川の流れは今も昔も変わらない。おおかた50年前の私の高校時代の白線流しが思い出されて、思わず両目が汗をかきました。(ぶっ)
いやあ、それにしても高山市の古い街並みのテーマカラーは黒になってしまったのか、などとぶつくさつぶやきながら、続いては飛騨の里へ向かい、ついでにその裏山の松倉山に向かい、その後は清見(きよみ)経由で「せせらぎ街道」をトボトボと走り、自宅に無事にたどり着きました。せせらぎ街道は実は残雪でした。しかも大雨、ずぶ濡れで帰宅しました。私にとって、せせらぎ街道はずばり、白樺です。白樺と言えば信州などのイメージでしょうが、実は飛騨地方は本州の白樺の南限なのです。せせらぎ街道以外に白樺の見どころと言えば日和田(ひわだ)です。国道沿いに無数とも言える白樺林。飛騨の原風景ですね。飛騨のご出身で日和田の白樺林をまだご覧になっていないおかたは是非。スタンダールじゃないけれど、飛騨は白と黒、黒い上三之町とせせらぎ街道の白(白樺と雪)、そんなオートバイソロツーリングでした。
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