飛騨方言の代表的な語彙といえば、だちかん(だめだ)、やわう(準備する)、げばす(失敗する)等々がありますが、先ほどはあるウエブ情報で、やっとで、の言葉に驚いたという記事を発見しました。発信者は建築家、大垣から高山市へ移住して半年、大垣、つまりは西濃と飛騨との言葉の違いに気づいたという記事なのですが、ご自身のウエブでのコラムです。ブログとなっていますが、実際はコラムです。また、ページのソースを解析、つまりはmeta name / meta property あたりを見ると発信者の意図すら輪郭が見えてきます。ところで、このコーナーも実に13年ぶりのカキコです。つまりは私の意図が敏感な読者のかたには丸わかりでしょう。質より量、目指せ一万ページ、持続する意思、人生はマラソンである、平凡な積み重ねでも数十年も続ける事は大変な価値があるのです。さて
やっとで終わった、これが大垣出身者のお方から見れば飛騨方言だとの事ですが、やっとの事で終わった、の意味である事は明らか、やっと終わった・やっとで終わった、この両者にどれだけの意味の違いがあるかというと、無い、というのが答えではないでしょうか。ここにあるのは発信者の明確な意識、という事であって、やっとで、そのものが果たして飛騨方言かどうかは、つまりは学問的には、フィールドワーク、つまりは沢山の人々の聞き取り調査なり、ネットのコーパス解析などで結論づけられる事だと思うのですが、多分、答えは、形式名詞(実質的に意味が希薄な名詞、こと、もの、はず、わけ 等の修辞の事)は容易に脱落しやすい、という事でしょうか。
発信者にあるものは学術的には、方言意識、という心の働きでしょう。つまりは特定の単語を飛騨方言と認識し、それが面白いと感じた、あるいは聞きなれないのでびっくりなさった、誰か皆に教えたくなった、話題が無いので困っていたところに飛び込んできた話題、等々により、お書きになったという事なのでしょうね。
さて、私が彼のサイトにメールを送ったり、問い合わせたり、そういう事は一切、やりません。誤解の無いように、佐七はこうやって裏でこそこそと物書きをしている何だか陰険な奴だ、と思わないでください。私は自然言語としての飛騨方言に興味があるのであって、それを気づいたら片っ端に記載し、将来は老後の楽しみとして読み返すために書いているのであって、方言意識、という学術語を世に広めたいと思って書いているのでもなんでもありません。かってに指がキーボードの上で遊んでいるだけです。
おまけですが、十三年ぶりの記事か、やっとかめだなも。名古屋方言で、お久しぶりです、の意味ですが、こちらは明らかに愛知方言ですね。 |