大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心理学 |
やわい、またじ、まわし |
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僕:どうも頭が固すぎるというか、当サイトに記事を書く場合、古語文法とか、或いは語誌から語源に迫るとか、そんな事しか思い浮かばないので、そういう事は十分に書いた、今後は飛騨方言の心理学でも書こうかとフト思った。 君:なるほど。だから三つの言葉を選んだのね。どれも飛騨方言では準備・支度のような意味合いで使われるけれど、ニュアンスは異なるわね。 僕:そうなんだよ。でも基本的な事はまず列挙しておかないと。まずは語源だが、語源コーナーに詳述した通り、「やわい」は他ハ四(他動詞ハ行四段)「いはふ祝」のハ行転呼「やわう」の連用形、「またじ」は「まったしゅうする全」からの品詞の転成、「まわし」は他サ四「まはす」の連用形だ。ただし全て自説につき、若し間違っていたらゴメンネ。どこにも書かれていないから自分で考え出すしかない。 君:要は語源と思しき品詞が特定できたし、現代の飛騨方言でも語源の意味を引きずっている、というあなたなりの説ね。 僕:その通り。「祝う」から「やわい」だから、とてもいい意味。「まったしくす全為」から「またじ」だから完璧が求められるという意味。「回す」から「まわし」だから、あれこれ根回しするという意味。 君:「やわい」は文句なしにいい意味で用いられるけれど、「またじ」と「まわし」は骨が折れる事をいやいやながら行う事という意味ね。 僕:そうそう、そんな感じ。「やわい」は淀みなくスムーズに事が運ばれる様子を示すのに対し、「またじ・まわし」はあれこれ困難を乗り越え創意工夫をして難局を解決に導く様子といってもいいかな。 君:「やわい」はいい意味で用いられ、「またじ・まわし」は悪い意味で用いられるという意味かしら。 僕:割り切った解釈ではそんなところだろうね。 君:例があるといいわよ。 僕:「やわい」は祭りの準備、結婚式の準備等だな。「冬やわい」という言葉もある。晩秋の冬の支度だが、冬の間は農耕の仕事から解放されるし、実りの秋の野菜を大量に漬け物にする「菜洗い」などの仕事を示す。楽しい仕事だ。その一方、「またじ」の用法で頻用されるのが「雪またじ」。突然のドカ雪でライフラインが分断されるが生きるためにはどうしてもやらねばならない重労働、屋根の雪下ろしともなると危険も伴う。「雪またじ」を好んでする人なんていない。冬のいやな仕事の代表が「雪またじ」だ。それに散らかっている場所の後付け、これも「またじ」という。 君:「まわし」はどうかしら。 僕:これもいい意味で用いられる事はないね。祭りの回しとか、結婚式の回しとか、普通は言わないだろう。 君:あらら、つまりは「やわい」と「まわし」はイベントの前の作業を示し、「またじ」はイベントの後の作業を示すのね。だから「またじ」を準備と訳す事自体、間違っていないかしら。 僕:うん、おっしゃる通り。「まわし」をしたものは「またじ」すると言うが、「やわい」をしたものを「またじ」するとは言わない。 君:「やわい」をしたものの後片付けは何というのかしら。 僕:それはとてもいい質問だ。「やわい」したものは「仕舞う」だね。もっともサ変「す」の連用形「し」+「まう」だから、厳密な表記としては「為舞」かな。「舞」は当て字、というか瑞祥の表記というところか。 君:大雑把な使い方が見えて来たわね。 僕:うん、取り立てて書き足す事も無いようにも感じられるが、実はとても大切な事が一点ある。 君:更に重要な点? 僕:まさにその通り。「やわい」は飛騨の俚言。「またじ」「まわし」は全国共通方言だ。 君:ほほほ、なるほど。つまりは「またじ・まわし」の両語は飛騨地方以外の人でもニュアンスがご理解いただける可能性があるけれど、「やわい」は俚言につき飛騨地方以外の人には、「いい意味で用いる言葉」であり悪い意味では決して用いられません、との説明が必要という意味ね。 僕:その通り。とは言っても、あれこれ悩んで準備する事が好きなお方もあろうし、きちんと後片付けをする事が好きなお方もおられよう。「またじ・まわし」が悪い言葉であるととは一概には決めつけられない。 君:あなたはどうなの。 僕:おりゃなあ、「まわし」も「またじ」も、でぇーっ嫌いなんやさ。 君:ふふっ、わかるわよ。オチとしては、左七は原稿を書き始めてから、この原稿のオチを何にするか、ずうっと落ち所の「やわい」をしてきたのよね。ほほほ |
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