大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心理学 |
ずつない、きずつない |
戻る |
僕:今日は表題の両語について。心理学的アプローチを試みよう。 君:いきなり本題も結構ですが、どなた様かは初めてお聞きなさった言葉という可能性もあるわよ。 僕:そうだね。簡単に前置きを。両語とも全国共通方言で、「ずつない」は身体的に苦しい、というような意味、つまりは病気だ、というような意味で、「気ずつない」は心苦しいというような意味。語誌的には中世語形ク「じゅつなし術無」、意味は二つ(為すべき方法が無い、精神的あるいは肉体的に苦しむさま)。日葡には Iutnai の記載がある。両語は言海にも大言海にも記載がない。日本方言大辞典では、「ずつない」の方言量はざっと20程度で意味は14で多彩、「きずつない」の方言量は3で意味は4と少なく気持ちを表す言葉。以上の情報からいろんな事がわかる。あげられるだけ挙げてみて。 君:うーん。意地悪な質問ね。ほほほ、わかったわよ。あげられるだけ挙げる必要なんて無い。要は、一番に大切な事はなんですか、という質問ね。 僕:まあ、なんとでも解釈してくれ。 君:言葉の成り立ちが丸わかりという事ね。「じゅつなし」があって、「ずつない」がうまれ、やがて「きずつない」も生まれた、という事ね。 僕:その通り。「ずつない」から「きずつない」が生まれた根拠は何? 君:元々は「じゅつなし」は為すべき方法が無いという意味からスタートしたのよ。そして、だから「こころが苦しい」という意味が加わったのだわ。そしてやがて「肉体的に苦しい・病気だ」という意味になる。ところが様々な病気に用いられると抽象語となってしまって更に病気以外の各種の意味が加わった結果、意味が14にも膨れ上がった。つまりは使い勝手が悪くなった。従って原点へ復帰、気持ちが「ずつない」という限定の意味の「きずつない」という言葉が生まれたのよ。 僕:まあ、そんなところだ。言海、大言海に記述が無い点はどう考える? 君:ほほほ、簡単な事だわ。日葡に「ずつない」があるから中世の畿内方言、現代語「きずつない」は代表的京言葉でもあるから上方で生まれた言葉で江戸語にはならず、従って共通語ではない、つまり全国共通方言、という事ね。 僕:正解だ。付け足すならば、江戸語でないからといって、然も京言葉だからといって西日本の方言とは限らないという事。「ずつない」「きづすない」に東西対立は無い。 君:「きずつない」が使われる地方が限定的ならお披露目なさったらどう? 僕:おっと、逆の質問か。望むところだ。飛騨、三重県松阪志摩、京都、大阪市、兵庫県加古、福井県敦賀、奈良、高知。 君:ほほほ、見事にバラバラの地方、つまりは発想が同じの言葉で、自然発生したという事がわかるわね。 僕:飛騨のような田舎に生まれ育って、地元方言が京言葉と通じるものがあり、然も発想が同じで生まれた言葉という事すらうかがえる事は素直にうれしい。 君:なあんだ、そういう事だったのね。飛騨方言における「ずつない・きずつない」の使い分けの心理学的側面を議論しようと考えたわけではなくて、「きずつない」が京都・飛騨共通方言である事が嬉しかったという事を書きたかったという事だったのね。 僕:はい、そうです。JR東海ツアーズ・必修!京言葉講座 君:ほほほ、そしてオチもわかるわよ。「きずつない」気持ちではなく、楽しい気持ちで書いています。ほほほ 《まとめ》これで接頭語「き気」の造語機能がおわかりですね。私の気持ちも。ずつない、は近世語ですが、きずつない、は何と近代語です。きずつない、は角川古語大辞典にも東京堂出版近世上方語辞典に記載がなく、明治あたりから上記の地方で使われ出したという事なのでしょう。若し間違っていたら堪忍どすえ。 |
ページ先頭に戻る |