あまり個人的な事を力を入れすぎて書いても顰蹙を買うだけですが、
中央分水嶺という言葉についてどうしても書きたくなります。
さて飛騨山脈は日本の屋根ですから、乗鞍岳の剣が峰が実は日本を四分する
大分水嶺、中央分水嶺の頂点である事は書くまでも無い事ですが敢えて、
つまりは日本を東西南北に分ける四水系です。
1.木曽川・飛騨川水系 西日本かつ太平洋側 つまり日本の南西
2.宮川・神通川水系 西日本かつ日本海側 つまり日本の北西
3.天竜川水系 東日本かつ太平洋側 つまり日本の南東
4.糸魚川水系 東日本かつ日本海側 つまり日本の北東
実際には1.と2.の合流点の頂は北アルプス乗鞍岳で、
3.と4.の合流点の頂は南アルプスの駒ヶ岳です。
つまりは乗鞍岳と駒ヶ岳を結ぶ稜線(1.と4.が合流する稜線)が日本の屋根とも言えます。
世の中は数学が嫌いな人が大半ですが、
四色問題に少しばかり興味をお持ちくださいますと幸いです。
そして両山の標高を見てください( 3026m vs 2841m )、
つまりは本稿は立体式四色問題に対する解答、と言い換える事も出来ます。
誰でもわかる言葉でいうなら乗鞍岳の剣が峰が日本列島というお城の天守閣という事になりますね。
飛騨方言は日本のへそ・大日本城の天守閣で話されている言葉である、と結びます。
さて地学に関するふたつの記事をご紹介しましょう。
とにかくびっくりする事実が書かれています。
三百万年前は、実は御岳が日本の分水嶺の頂点であり、
乗鞍岳が当時はなんと完全に日本海側の山だったという事です。
当時の幻の中央分水嶺は佐七家の川向こうの山−御岳−野麦峠−鳥居峠と続いていたのでしょう。
三百万年前はかろうじて日本海側、現在はかろうじて太平洋側、
そんな私の故郷・大西村なのです。
天下の中央分水嶺頂点を太古の御岳から現在の乗鞍岳の剣が峰に
バトンタッチさせたのは実は高山市久々野町大西にある
佐七の家の裏山・大西峠の形成が原因であった、
と上記の二論文は教えてくれます。
太平洋プレートが日本列島を大陸側へと押しまくった結果、
あらら大変一大事、大西部落が隆起してしまい(ご先祖様っ!!)、
大西峠(高山市久々野町大西)ができてしまったため、
飛騨川源流と宮川の泣き別れ現象が生じたからなのでした。
ここ大西峠に最近、大変に立派なトンネルができました。
勿論、トンネル工事で大西峠の地中深くが昔は実は川だった事が実証されました。
地中深くから川原石が大量に出てきたのです。
トンネルの入り口に説明の看板が立てられました( 写真 )。
ところで全国に分水嶺があります。ネット情報も多いのですが、前述の小井土 由光先生の言、
【余談】川が太平洋か日本海のどちらに流れるかで,その分かれ目に注目し,
碑まで建てるのは,“泣き別れ”というドラマ性があり,
そこにロマンを感じるからであろう.
しかし,河川にとってはどこで離別してきたかよりも,
どのような環境の中を流れてきたのかが重要な意味をもつ.人間と同じである.
(先生のサイト内記事をそのまま引用)
と言う事なのですが、私・佐七は結局は日本の屋根も屋根、
その屋根のてっぺん・中央分水嶺の村・大西部落という
田舎の環境から西日本側かつ太平洋側へ流れてしまいました。
何の変哲もない佐七の裏山なれど実は
分水嶺の王者・乗鞍を作った天下一の泣き別れ
いつも分水嶺の王者・乗鞍岳同様に感激せざるを得ません。
更に一言いいたい、飛騨川源流っといっても大川です。
ちょろちょろと流れる小川じゃないよ。
国交省の公開写真をどうぞ。
北向きの川が大西村で突然に南向きになっているのが解るでしょう。
大西村が泣き別れのスポットです、くーっ。
たかが風景、しかしその意味が判明すると感激してしまいます。