何故、高山線という言葉が飛騨人の郷愁をそそるかと申しますと、
古い世代で故郷を離れている方々にとっては旧国鉄路線、故郷を後にした道筋という事になりましょう。
岐阜県図書館に高山線白川口飛騨金山間開通記念絵葉書 [1928]
がネット展示されています。
ところがいやはや時代は変わりました。今、高山線+JR、をキーワードに
ネット検索しますと数万件ヒットしますが、高山線+バス、をキーワードに
しますとその約半数もの情報がヒットしてびっくりしてしまいます。
実はバス情報の中にはJRの復旧工事中とて、バス代行の情報もあります。
ふた昔以上前といえば高山線といえば国鉄の事、バスはといえば濃飛バスのみが
地域の足として運行していましたが高山が唯一のターミナルなので高山線という
名前のバス路線はゼロ、つまりは高根線、秋神線、下呂線等々、ターミナル高山から見た目的地、
つまりは飛騨の辺境を記した名前だけだったのですから。そして旧国鉄高山線は唯一の通勤・通学手段という
ことで懐かしさがこみ上げてくると言うものです。
昭和四十年代はエスエルが走っていました。そして高山線で一番長いトンネル・
宮トンネルの通過は一種のスリルがありました。トンネルの中をモクモクと煙を吐きながら走りますので、
当然ながら車内はきなくさくなります。どういうわけか煙がモクモクと車内に充満してくる事も
ありました。火災発生か、などと慌ててはいけないわけですね。
バス路線・高山線の情報が多いのは、信州松本と高山、中京と高山を結ぶ高速バスが
定期運行されるようになった、つまりは平湯峠を突き抜ける安房(あぼう)トンネルができ、
東海北陸自動車道ができたためだからですね。高山線という名前ができたのも松本・中京地域から見れば
高山は目的地というわけです。ふーむ。
そして飛騨にないもの、飛行場。高山線といっても空の可能性はゼロ。港にいたっては論外。
遠足で小牧飛行場へ行った時の少年佐七の興奮を想像してみてください。
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