大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨人がしびれてまう言葉・ノーベル賞

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飛騨人がノーベル賞という言葉にしびれてしまうのは、第一には小学校から高校まで高山ですごされた 白川英樹博士と 神岡町のカミオカンデでノーベル賞を受賞された<小柴昌俊博士 のお二人のご威光ですね。 この賞ほど庶民と無縁のものもないのですが、 飛騨人にとって輝かしい郷土の誇りができたことは喜ばしい限りです。

なにせ国際的な話題になります。私は外国の友人にしばらく私が飛騨の出身で、白川英樹博士 と同じ郷土であるという内容の手紙をよく書いていました。今後も機会あるたびに書くでしょう。

そして出てくる話題が国道41号はノーベル街道 ですね。 "富山と高山を結ぶ国道41号が“ノーベル街道”として注目されている。国内に12人しかいないノーベル賞受賞者のうち、昨年日本中を沸かせた田中耕一さんら、4人が国道41号にゆかりのある方たち。 「粘り強い富山県人気質が受賞につながった」と語る田中耕一さん(平成14年、化学賞)は、富山市出身。高校卒業まで同市で過ごした。富山市から南下した大沢野町は、利根川進さん(昭和62年、医学・生理学賞)が小学1年から中学1年まで過ごした地。岐阜県に入ると、小柴昌俊さん(平成14年、物理学賞)が「カミオカンデ」でニュートリノの観測に成功した地、神岡町がある。さらに南へ行くと、白川英樹さん(平成12年、化学賞)が小学3年から高校3年まで暮らした高山市がある。  江戸時代、富山湾で獲れたブリを飛騨へ運んだ飛騨街道(現国道41号)は、ブリ街道とも呼ばれた。ブリは出世魚。この街道は、まさに現代の出世街道といえるのでは。"

昔のブリ街道、現代のノーベル街道、いやあお見事、しびれてまうさ、やっぱ飛騨はすごいわあ。

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