大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム しびれる言葉 |
船津花崗岩 |
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方言学とはどんどん外れていってしまいますが、今夜も言葉のお遊びという事で、しばらくお付き合いくださいませね。大和民族が誕生して一万年ですが、飛騨方言の研究をするにしても 東大寺諷誦文稿(とうだいじふじゅもんこう)等、古文書の研究がスタートでしょう。現在に至るまで、古文の知識を総動員して、約千年の歴史の紐解きゲームです。浮世離れした話です。ついでに更にもっと浮世離れしたお話になりますと、あきつしま・大和の国の成り立ちです。資料を三つお示しします。 【日本のすがた】日本ができるまで eboardchannel 簡単に一言、日本列島で一番に古い場所は岐阜県の神岡の船津です。何故かと申しますと、大和の国が出来る前に神岡・船津は大陸の一部であり、日本海の出現により、実は大陸から分離して船津が元祖の日本になったのです。 より具体的には以下の情報などが有用です。神岡町船津という谷合の町が日本で一番に古い地層と言われてもピンと来ないおかたばかりでしょうが、事実は事実です。 岩石・鉱物[5]?飛騨片麻岩類K 船津花崗岩分布 続いては流紋岩の出現です。船津という日本のコアが出来た後に、続いて下呂が出来たのです。次いでに笠ヶ岳も出来たのです。平地の船津が出来て、その後に下呂とあの高い山・笠ヶ岳、どうもしっくりきませんが、事実は事実です。この際は常識は捨てて柔軟に考えましょう。 岩石・鉱物[4]?濃飛流紋岩 濃飛流紋岩・笠ヶ岳流紋岩分布 最後の仕上げがフォッサマグマの出現で、乗鞍や御嶽が出来ました。日本列島の太平洋側は、更にその後、太平洋の海底の堆積物が運ばれて来て形成されたのでした。まとめですが、秋津島、秋津洲の由来は古い順に船津(大陸の一部、船津花崗岩)>下呂と笠ヶ岳(濃飛流紋岩)>乗鞍と御嶽(フォッサマグナ)>その他大勢とも言える太平洋側部分。飛騨方言の歴史はたかだか千年。 地学的には飛騨市神岡町の船津という地名が日本最強・日本最古の横綱ブランドマントラなのでした。船津高校の名前、残して欲しかったですね。しゃみしゃっきり |
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