大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム しびれる言葉

グリーンホテル

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今日のお話は全国の読者の皆様で、まだ飛騨・高山へ旅行なさった事のないおかたへの、ちょっとした小ネタです。私は旅行好きというほどでもありませんし、高山市の出身といっても、高校時代(1969-1972)まで飛騨にいただけの人間ですから、あまり有用情報はお書きできませんので、そのへんもご容赦願います。では。

私が旅情を感ずるのはその土地の一番に歴史のあるホテルとか、最も老舗の旅館に泊まるという事なのですが、ホテルに関しては当然ながら最も大きいホテル、最も駅に近いホテルがそれだと思えば当たらずとも遠からずでしょう。2020年現在、高山市には大きなホテルが二つ、「グリーンホテル」と「ひだホテルプラザ」の二つですが、ひとつだけ高山市を代表するホテルを挙げるとすれば、「グリーンホテル」という事になるのでしょう。両ホテルとも創業が昭和47年(頃)となっていますが、「グリーンホテル」は当初から今の規模にて、ウィキペディアの情報によれば岐阜県下のホテルの中で宿泊者数が最大との記載がありました。2020年には別館がオープンという事でさらに大きなホテルになったようです。私の記憶としても、昭和47年と言えば県立斐太高校を卒業した年で、斐太高校は受験校ですから、創業当時の「グリーンホテル」の記憶などあるわけがありません。「ひだホテルプラザ」は最近、大きくなったホテルとも言えます。私の記憶は全て、私が1978年(昭和53年)に医学部を卒業し、社会人となってからの事です。以下、思いつくままに。

独身時代に一度だけ・・「グリーンホテル」でお見合いをした事がありました。前にも後にも人生にたった一度だけ。場所を選ぶならここしかない、という事で先様と相談の上、ロビーでお会いしましょうという話に。当時は高山市の中でも唯一のお見合いの聖地だったという事です。結果は・・ご縁がなくて話は無かった事になりましたが、・・男という生き物は「グリーンホテル」がなかなか忘れられません。「男は記憶のカードが増えるが、女は記憶のカードを塗り替える」と言う格言があります。私はとうの昔に先様に忘れられていて、つまりは「塗り替えられてしまった男」の可能性があります。嗚呼

同窓会の場としての「グリーンホテル」、これは数えきれません。出身は旧大野郡久々野町立久々野中学校ですが、大体は一泊プランで、大宴会の後はカラオケバーで歌いまくり、後は男女分かれて一旦は部屋に戻るのですが、部屋で飲みなおし、その内に男女皆がひとつの部屋に集結、夜明けまで楽しい談笑が男女交えて続いてしまうという貴重な娯楽なのです。同級生の半数は実は高山市内在住ですが、同窓会の日に限っては「グリーンホテル」に宿泊するのです。初恋の君に逢えるホテル、同窓会万歳!家内は先刻、承知です。ですからいずれ家内を彼女に紹介したいのです、このホテルで。

斐太高校の同窓会も「グリーンホテル」がほとんど、それでも最近はちょくちょくと「ひだホテルプラザ」で開催される事も増えては来ましたが、なにせその昔は高山市の大きなホテルといえば「グリーンホテル」しか無かったわけで、高校同窓会と言えば「グリーンホテル」の思い出に収束してしまいます。

私が若い頃、ざっと40年ほど前、には結婚式場といえば「グリーンホテル」の記憶しかありません。高山市で結婚した友人に御呼ばれで出向いた場所は「グリーンホテル」しか思い出せないのです。ぶらっと夫婦で立ち寄った回数・・・数えきれません。余談になりますが、結婚式場は東京なら、やはりなんとしても帝国ホテル、ソムリエ様が二十人近くいらっしゃる日本一のホテルです。大阪ならリーガロイヤルで決まりですね。名古屋と言えば一番の老舗は「観光ホテル」でしょうが、でも一番に格調高いホテルは名古屋城の西隣の、私ども夫婦と娘夫婦の親子二代が挙式した「キャッスル」です。名古屋駅前の「マリオット」や柳橋の「ヒルトン」は最近のホテルにて歴史はありません。それにしても早くコロナ問題が収束して、全国の好きな所へ旅行できる日が待ち遠しいですね。今は我慢、我慢。(2020/4/16)

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