先だっては、ひだのことば、という絵本のような単行本を購入、ブログ紹介の箇所でもご紹介しましたが、高山市在住のデザイナー大森貴絵様が著者。全ページがお面白いのですが、或るページで頭をガアンと殴られたような気持ちになってしまいました。10ページにあるおりみたいなおぞいもん、撮らんこっちゃさ 季節は春、一本の立派な満開な桜を見ていたおばあさんが、さあ帰りましょう、と思い桜に背を向けた時の事です。なんと、おばあちゃんの目の前に見知らぬ娘さんがカメラを構えていたのです。娘さんは勿論、本来は満開の桜を撮るためにいらっしゃったのですが、桜の木の下におばあさんを発見、本来ならば、あのおばあちゃんは邪魔だから早くどいてくれないかな、とお思いなさるのでしょうが、おばあちゃんの小さな背中が可愛らしく、よし桜の木の下の人物写真にしよう、と撮影目的を変更、おばあちゃんがふりむいて自分と目があうのをじいっと待っていたのです。
アイコンタクトが出来てしまった以上、おばあちゃんにもカメラを構える娘さんの意図がわかってしまい、恥ずかしいから私のような卑しい老婆は撮らないで立派なこの桜の木だけをお撮りなさいな、という意味でおっしゃったのが上記のフレーズです。
飛騨方言をご存じない方に、飛騨の女性第一人称は、おれ、これがさらに訛って、おり、となっているのですが、何故、女性なのに俺なのでしょうか。答えはひとつ、江戸時代まで使われていた謙譲語、つまりは、おのれ、が語源だからですね。飛騨の女性が誰彼にも、おり、を使うのは誰彼にも常に自分をへりくだっておっしゃる深層心理の現れ、という事にお気づきの飛騨人が何人いらっしゃいましょうか。誰もいないはず。だって私が勝手に作った論理ですから。おりみたいなおぞいもんの文章読んでくださって、かにな。
おぞい、という飛騨方言に関しては、おずし(悍し形ク)あたりが語源、いやしい、というような意味です。おりみたいなおぞいもん、というフレーズは最大限の謙譲語になっていて、このおばあちゃんの何ともはや奥ゆかしさがにじみ出ているお言葉でした。
娘さんの返したフレーズがこわがらんでもええさ、せっかくやにー これまた素敵な言葉でした。
|