今は2007年の秋ですか、飛騨地方における今年の話題の言葉十傑に
入るでしょう、JR高山線の全線開通です。
2004年の秋の台風が未曾有の水害を北飛騨に与え、JR線は
高山−富山間が分断され、復興に三年を要し、
ようやく 2007.9.8 に全線開通の歴史的瞬間を迎えるのです。
地元は沸き立っています。よかったですね。
この三年間、打保駅に閉じ込められたジーゼル車がありました。
上りも下りも線路が決壊した為です。
本年二月に打保−高山が開通して、ようやく脱出可能の状態に。
痩身のジーゼル車は、
まめで帰ってくるんやぞ!
という小旗を振る地域の人々に見守られて、そろりそろりと打保駅を
後にしたのでした。名古屋での修理で生き返った同車両は今は紀勢線を
走っているのですが、JR東海は全線開通のめどが立った高山線に
復帰させる事を決定、 2007.9.8 は地元の方々とジーゼル君との
半年ぶりの再開の瞬間でもあるのです。
高山線不通の間、黙々と代行運転なさった地元のバス会社さんも
本当にご苦労様でした。
なんとかここまで生活できたのぁバス会社さんの
おかげやったんやさなあ、うたてええな、という事でしょうね。
ネット情報をみますと高山線が全通し名古屋と富山が結ばれたのは
昭和九年の事、当時の飛騨地方全体の興奮ぶりが想像できますが、
生まれて初めて鉄道を見た、長生きしていてよかった、という方が
いらっしゃったのでしょう。
2007.9.8 は再全通というべきでしょうか。
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